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Higashimurayama city Yasaka Elementary School

TEL. 042-391-8115

〒189-0013 東京都東村山市栄町3-34-1

学校だより(巻頭)平成30年度schoolnews

   

平成30年度

3月
<自動改札>
■切符を買って乗る
子供の頃、電車に乗るときには、必ず駅の人と話をしなければなりませんでした。いちいち切符を買わなくてはならなかったからです。出札口の駅員さんに行き先の駅名を伝え、人数を伝えて切符を買いました。「所沢駅まで大人1枚子供2枚お願いします。」という具合です。駅員さんが値段を言ってくれたあと、お金を払い、切符がやっと手に入ります。買った大切な切符を片手に、今度は改札口の駅員の方に切符を切ってもらいました。
■「ピ!」とバタン
駅を出るときにも改札口の駅員さんに切符を渡します。駅員さんは、どこの駅から乗ると運賃がいくらかをよく知っていて、まちがった切符の場合には、それをきちんと見付けて「もしもし、お客さん。」などと教えてくれます。
今は、切符を買わなくても電車に乗れるようなシステムがあります。事前に入金してある交通系カードを自動改札にかざすと、「ピ!」と読み取って最低運賃が引かれ、降りる駅でも「ピ!」で、残りの運賃が自動的に引かれます。カード残金が足らないと、腰のあたりの扉がバタンと閉まって通せんぼされます。優しい駅員さんの声掛けとは、少し違います。
■人に接しないようにする時代?
AIの技術革新は、とどまるところを知らず、日々進歩しています。新幹線などの指定席に乗るときは、昔は車掌さんが「切符を拝見させていただきます」と言いながら「座っている人が席を間違えていないか」切符を確かめてハンコを押すという検札をしていましたが、今では、自動改札を通れば車掌さんの端末にデータが送信され、いちいち切符を確認することをしなくてすむようになりました。
■AI時代の学校
卒業間近の6年生数名ずつが、毎日、校長室に入れ替わりやってくるので、一緒に給食を食べています。AI時代を生きていくこととなる6年生に「学校の先生がAIだったら、どうか?」と質問をしています。まだ、全員と話をしたわけではありませんが、今のところAI化を好ましいと考えている6年生はいないようです。「表情がないから、困っているときに一緒に相談に乗ってくれなさそう。」「ロボットに叱られるのは、いい気分じゃない。」「ロボットは、決められたことしか教えないので、個性がない」「話が脱線しないので、授業がつまらなさそう」etc.
どうやら、学校の先生のAI化は、まだまだ進みそうもありません。
2月
<「ありがとう」って伝えたい>
■あいさつをしよう
本校では、あいさつをしっかりできる子供を育てています。1月の目標もそれでした。子供たちに、どんなあいさつがあるか聞いてみると、まず返って来る答えは、「おはようございます」「さようなら」などです。「もっと、ほかに無いでしょうか?」と聞いてみると、「いただきます」「ごめんなさい」などと続き、やっと最後のほうに「ありがとう」が出てきます。「ありがとう」は、あいさつの言葉としては、認識しづらいのでしょうか。
■あいさつのしかた
2年生が学習している九九検定の最後の関門が、校長室で行われる「九九とくべん」です。校長室に入るあいさつでは、「失礼します」「2年○組の○○です」「九九とくべんに来ました」など、いろいろなあいさつの仕方を学んでいます。校長室に一人で入っていくので、この初めのあいさつから緊張して肝心の九九を間違えて悔しがる子もいますが、最後の「ありがとうございました」は、忘れません。しかし、こうして身に付いたあいさつの仕方も、地域の方々によれば、「小学校のときは、朝から元気にあいさつができていた子が、中学生になると照れくさいのか…」という場合が多いようです。
■「ありがとう」は、言いにくい?
数年前のCMのひとコマです。
息子の高校入学と同時に買った弁当箱。毎朝、母は台所に立って弁当を作る。初日は、息子の好物弁当。その後、毎日3年間、季節に合わせた彩りのよい弁当を、登校する息子に玄関で「はい!」と笑顔で渡す母。無愛想な年頃の息子は返事なし。でも、必ず空っぽになって戻ってくる弁当箱が息子の返事だと母は信じている。卒業が間近となった弁当最終日に、母は初日と同じ好物弁当を2つ作る。1つはいつもどおり笑顔で「はい!」と息子に渡し、もう1つを持って近所の川に行く。たった一人で土手に座り、「うん、おいしい! 3年間がんばった私、えらい!」と息子と同じ弁当を食べながら母は自分をほめる。夜、いつもどおりに食卓に置かれた弁当箱を洗おうとした母の顔が、突然ゆがむ。空っぽの弁当箱の中には息子の字で小さなメモ。『ありがとうってずっと言えなくてごめん!』
■「ありがとう」は、感謝の心
先の展覧会で6年生は「サンクス プレート」に「ありがとう」の思いを込めていましたし、これから4年生は「2分の1成人式」で「ありがとう」を伝えるはずです。そのほか多くの場面で本校の子供たち全員が、これまで自分たちを温かく見守り支えてくださった方々へ、気持ちのこもった「ありがとう」の言葉で伝えられるはずです。
1月
<「そうぞう」を楽しむ >
■AI時代の「そうぞう」
AIスピーカーに話しかければ部屋の照明をONしてくれたり気に入った音楽をかけてくれたりする時代です。この先、何年或いは何十年か経つとこれまでより様々なAIが生まれて生産効率が非常に上がるので、多くの労働はすべてAIに任せる世界になるかもしれません。学校の先生など、完全にAI化できそうもない職業もありますが、もし、人が働かなくてもいい世界になった時、どう時間を費やすかが問題です。その時に必要なのが、音楽やスポーツ、そして美術などへの「そうぞう」であるように思えます。
■伝統文化としての「そうぞう」
時を遡って考えれば、江戸時代は300年近くも平和な時代が続きました。内戦どころか諸外国との戦争も起こらなかったので貧しい武士もやることがなく、趣味に明け暮れ、楽しく暮らしていました。そのため、多くの稽古事が日本独特の文化として発達したのでした。歌舞伎、浮世絵、俳句や三味線なども江戸時代に生まれ、発展しました。果てしなく続く素晴らしい「そうぞう」の世界を築き上げた時代であったといえます。平和な時代にどう過ごすかという問題の答を、日本は江戸時代に出していたのでしょう。
■「そうぞう」の見えない部分
今の日本では、アニメが世界的・社会的な評価を得ていますが、アニメは見えるものがすべてとして、言葉としても語らせています。そういった意味ではアニメの娯楽性は強いといえます。子供たちが作る個性豊かな「そうぞう」の数々は、そこまでやらず、むしろ言葉にならないもの、語れないものを描いていることもあります。そのため、「そうぞう」であるがゆえの見えない部分まで何かが見えてくる不思議さでいっぱいです。
■そうぞう力(りょく) 無限大
作品鑑賞では、見る人の数だけ「そうぞう」があります。目の前にあるものだけを見るのではなく、その背後にあるものを読み取ることで、ある時には、アーティストが意図して表現していないことまで感じ取れることもあるからです。そのときには、人がよいといったからよいと見るのではなく、自分自身の価値観や考え方・感性に立脚して、それをどう考えどう思うのか、自分の生き方からの視点が必要となってくるのです。
今月下旬、「そうぞう力 無限大 八坂わくわく美術館」が開催されます。子供たち一人一人の個性豊かな「そうぞう」を“美術館”で感じ取ってください。
12月
<人の子も叱りましょう>
■波平さんは、叱る
子供を育てていく上で、必ず必要になるのが「叱る」ことです。昭和時代には、近所の“カミナリ親父”からすごい怒鳴り声で「コラーッ!」と叱られるので、子供たちは、二度と過ちはするまいと心に誓いました。サザエさんのお父さんである波平さんは、カツオくん、ワカメちゃんだけでなく近所の子供もよく叱っていました。当時の子供たちが受けた地域の人からのお叱りは、「うちの子がご迷惑を掛けて…」と受け止められていましたが、最近では「関係ないあなたがなんで、うちの子を叱るんですか!」と、残念ながら逆切れされるという話も聞かれます。
■うまく叱れない?
「ほめて育てよう」といった風潮もある中、子供をうまく叱ることができず、良いことと悪いことの判断がつかない子供も増えているようです。平成26年度の都政モニター調査によると、「子供が社会のルールやマナーを守れない原因」は、@正しいルールやマナーが身についていない大人が増えているから、A悪い行為をした時に子供を叱れる保護者が減っているからという回答が78%を超えています。では、どんな時にきちんと子供を叱る必要があるのでしょうか。
■叱るとき
大人が子供の行動を見て「叱るべき」と感じることのうち次の3つは見逃してはならない行為で、相手が誰であっても叱ることが重要です。
@ 生命に関わるようなことや危ないことをしたとき → 急に道路に飛び出す、高い場所から身を乗り出すなど、
A「大事なこと」に関するルールを破ったとき → 家でのスマホの使用時間を破った、友達との約束を面倒だからと言って簡単に破る、
B人に迷惑をかけるようなことをしたとき → B電車の中で大騒ぎをする、スーパーで走り回る、
■叱られないと…
スーパーで走り回っていてもニコニコして「ダメよー。そんなことしちゃ。また、あのおじさんに怒られるわよ」と言うのは、叱っていることにならないです。誰かに叱られるから行為を中止するのではなく、行為そのものがいけないことであると分からせないことには、叱ったことにならないです。そのように育てられた子供は、自分のやりたい放題の気持ちを抑えることができず、社会性がなくなります。「うちの子」と同様に、他人の子に対しても愛情をもって叱りましょう。
11月
<遊びが子供を育てる>
■トラブルと背中合わせの休み時間
中休みになると多くの子供たちが校庭に出て元気に遊んでいます。ボールを使ったり、鬼ごっこのようなことをしたり、なわとびや竹馬にチャレンジしたりと様々です。子供たちは、とても仲よく遊んでいますが、いつもいつも遊びがうまく行くとは限りません。自分たちで決めた遊びなのに、ちょっとズルをしてしまうこともあります。夢中になりすぎて友達とぶつかり、けがをさせてしまうこともあります。楽しい遊びには、必ずこうしたリスクがつきまといますが、それを自分たちで折り合いを付けていけるようになるためには、遊ぶしかないのです。
■泣いている子に寄り添うことを学ぶ
ある日、一人の泣いている子を見かけました。ベンチに座っています。まだ、休み時間が始まったばかりです。その子の隣に数人の子たちがいて、心配しているのか顔を覗き込んでいました。泣いている子と心配そうにしている子たちは、違う学年でした。泣いている原因を聞いてみると「なんか、嘘つかれたんだって」という答えでした。一緒に遊んでいたわけでなく、けがをさせてしまったわけでもない、遊び仲間で言えばまったくの第三者がなぐさめている場面でした。
■友達と仲直りする仕方を学ぶ
心配そうにしている子たちには、「ありがとう」と伝え、自分たちの遊びに向かわせたので、そこには、泣いている子と自分の二人だけになりました。確かに「嘘をつかれた」と訴えていました。少したつと、泣いていた子と一緒に遊んでいた多くの子供たちがやってきました。「どうしたの?」と聞いてあげる子、「ごめんね」と言う子、「最初から、やりなおそう」と励ます子など様々です。鬼ごっこでのトラブルだったようですが、結局、鬼を決めるところからやり直し、みんなそろってまた、遊び始めました。
■効果を期待して遊ばない
水曜日に行われている八坂ハッピータイムも遊びの一つです。遊びとは、本来自由で主体的な活動です。だからこそ子供たちは、遊びの中に楽しさを見い出し時間を忘れて遊びます。楽しいから遊び、楽しくなくなったら遊びをやめるかルールを変えます。それが子供たちの自然な姿です。遊びは運動能力の向上に役立つとか情緒を安定させるのに役立つとか社会性が身に付くとか、大人は、遊びにそのような効果を期待し、事実、そのような能力も育つのですが、子供はそんなことを考えながら遊ばないのです。
10月
<かめときつね>
■どちらが怠け者でしょう?
兎に勝った亀が狐を見付けてまた、競走がしたくなり「向こうの小山のふもとまでどっちが先にかけ着くか競走しよう」と言いました。
向こうの小山からは小川が流れていました。狐は亀に「亀さんあなたは泳げることに特徴がある。この小川を泳げばもっと早く着くよ。」と言ったので、亀は「どんなに遅くても、勤勉に泳げば勝てる」と思い何時間もせっせと泳ぎました。ところが川の流れの速さより速くは泳げなかったので、もとのところを一生懸命に泳いでいました。亀は自分が一歩も進んでいないなど考えてもみませんでした。
狐は、「兎が亀に負けたのはいねむりをしたからだ、いねむりさえしなければ大丈夫だ」と思い、亀が泳ぐのを見ていました。しかし、自分で歩いていくのは面倒くさいので、馬でも来ればうまく馬をだまして乗っていこうか、それとも飛行機に化けて飛んでいこうかなどと、ねころんで考えてばかりいました。こうしてとうとう夕暮になってしまい、2匹とももとの所にいたことがわかり競走をやめてしまいました。さて一体どっちが怠け者でしょうか。
〈武谷三男「文化論」(1969年)より〉
■ポジティブに考える「よい結果」
皆さんはどのように考えますか?「怠けもの」とは、すなわち「何も行動しない、不活発」というイメージがある分、心情的には「亀は怠け者ではない」と思う人が多いかもしれません。
作者は、「亀は行動の勤勉、思惟(深く考えること)の怠慢で、狐は思惟の勤勉、行動の怠慢」と述べています。つまり、亀はよく行動したけれども自分の行動が有効であるかどうかについてよく考えず、一方の狐はよく考えたけれども、あれこれ浮かんできた考えを一つも実行せず、両者とも何も得なかったことになります。
この寓話のメッセージは「よい結果を生み出すためには、よく考えて、よく行動することが大切」ということではないでしょうか。時には亀のように無心で頑張ることも必要ですが、狐のように何もしないほうがいいこともあるでしょう。でもそれは、よく考えて「無心で頑張ること」を選んだり、「何もしないという行動」を選んだりすることで「よい結果」につながっていくのだと思います。
「夕暮までもとの所にいた」という「よくない結果」も、視点を変えれば亀と狐が自身の行動を省みるチャンスとして「よい結果」になり得るのです。
9月
<する、みる、ささえる、しる>
■速く走る
速く走ることは、人間にとっての大きなテーマです。狩猟が中心の時代には、獲物となる動物を追いかけるだけのスピードが必要で、スピード競走に負ければ、肉が食べられなくなるという、命にかかわる重要な問題でした。相手との競走だけでなく時間との競走でも速く走ることは求められました。戦いに勝ったことを知らせるため約40kmをできるだけ速く走った戦士の話から、マラソンが生まれました。太宰治の「走れメロス」でも、自分を信じて疑わない友人の命を救うために、体力の限界にまで達するほどに速く走り続けます。
■走る速さ
走る速さは、ピッチとストライドで決まります。ピッチとは、1秒間に何歩進んだかをあらわします。ストライドは、1歩で進んだ距離をあらわします。いわゆる歩幅です。ピッチが速ければ速いほど、つまり「トーントーントーントーン」と走るよりも「タッタッタッタッ」のほうが速く走ることができます。また、ストライドについては、1歩が大きいほど速く走れることになります。1歩で30cm違えば10歩で3m、50歩では15mもの差になるからです。
■速く走るために
ある研究によると、トレーニングを積んでいくと「ピッチにはそれほど変化は無いが、ストライドが伸びるので速くなった」という報告があります。100m走の日本記録を持つ桐生祥秀選手のピッチと6年生のピッチは、それほど変わることはないそうです。誰もがたいていは1秒間に4歩ぐらいで走るのです。しかし、桐生選手のように速く走れないのは、ストライドが決定的に違うからです。ストライドを伸ばすために短距離走の選手は、足腰だけでなく上半身も鍛えなくてはなりません。体の発育が十分でない小学生には、ここまでは無理です。
■する、みる、ささえる、しる
運動会では、かけっこ・短距離走があり、一人一人の子供たちが走る(する)ことになります。また、友達が一所懸命走っているところを見る(みる)ときに、声を出して応援する(ささえる)こともします。係活動をする子供たちも仕事を(ささえる)しています。そして、走ることを通して、走るときの気持ちよさや友達と勝負をするときの緊張感、勝ったときの喜びや負けたときの悔しさを味わう(しる)ことになります。今年の運動会は、9月29日(土)です。
7月
<ほんものにふれる夏休み>
■AIの時代に生きる
コンピュータで調べたりゲームソフトで遊んだり、子供たちの周りには“疑似体験”ができるツールでいっぱいです。AI時代に生きる子供たちは、それらを何事もないように使いこなしています。他の国々の様子、宇宙旅行、海底探検など、見たこともない世界が目の前の画面に広がり、行ったこともない所に行ったような気分にもなれるのです。自分で本物を体験していなくても、あたかも体験したことがあるかのような、ある種の“錯覚”をしていることにもなります。
■同じ風景を見た
15年ほど前の今ごろ、ある中学校三年生の修学旅行に付き添って京都方面へ出かけたときの話です。二日目に保津川下りで船に乗ることになりました。船頭さんが巧みに竿をあやつって、船は川を下っていきます。途中、少し川幅が広くなったあたりで、渓流の様子や周囲の山並み、セミの鳴き声、ギラギラした太陽を感じながら船に乗っていたある男子生徒が、こんなことを言いました。「ここ、『ぼくのなつやすみ』と同じじゃん。」すると、その生徒の友達も、「おお、マジでそっくり」と、二人は船の上で大はしゃぎです。
■「ぼくのなつやすみ」
「ぼくのなつやすみ」とは、ゲームソフトの名前です。田舎の親戚の家へ預けられた九歳の男の子が、夏休みの一ヶ月間、森や山に囲まれた自然の中で、昆虫採集や虫相撲、魚釣りなど、昔の子供達がしたであろう遊びをひとつずつクリアしていくというゲームです。川下りの船に乗っていた二人の中学生は、自分がゲームの中でしか経験していなかった「なつやすみの風景」が、今、目の前に展開されているという現実に驚き、感動さえしているのです。逆リアル体験です。
■楽しい夏休みに
夏休みは、大好きな家族と過ごす時間が多くなる、学校に行かないので自分の考えで行動できる、自分の好きな学習や活動ができる、ふだんできない活動が体験できるなどのことがあるので、子供たちはたいへん楽しみにしています。各御家庭の考え方で、自然とのふれあい、地域社会への参加などの様々な体験は、子供を大きく成長させます。夏休みは、本物に触れるよい機会にもなります。
今年度から1学期の学校生活の記録の一部(国語、算数及び生活の様子)を「ミニあゆみ」としてお渡しします。各家庭での夏休みの課題にしてください。
6月
<ルールを守る>
■ルールを変える
子供たちが2人以上遊ぶときには、たいていルールが決まっています。決まっていないとそれぞれが好き勝手に遊び始めることになるので、一緒に遊べないからです。もし、ルールがなくて新しい遊びを考えたとしたら、それはすでにルールを決めていることなります。1年生が中央公園に遠足に行ったときでも、一つのボールでどうやって遊ぶかを考えていました。そこには、遊びの中では子供たちの思考がいつも働いているのです。幼児では、自分が負けそうになってくると、自分の都合のいいようにルールを変えることもよく見られる光景です。
■困ったルール
遊びの中でいろいろとルールが変わっていくことは、子供の遊びの中ではごく自然に行われます。やっていておもしろくなかったり、このままではまずいと思ったりしたときにルールが変わります。個人戦でなければたいていの場合は2チームで遊ぶので、双方の合意があればルール改正はいとも簡単に行われます。次に遊ぶときにも改正ルールは引き継がれスムーズに遊びに入ることができます。厄介なのは、違うルールで遊んでいる他のクラスといっしょに遊ぶ場合です。
■ルールの違い
どっちのクラスのルールも自分たちは正しいと思い、これがもっともいいルールだと信じてきたため、いっしょに遊ぼうとなったときには譲れません。しかし、遊ぶ時間が限られていることを知っている子供たちは、いいところの塩梅(あんばい)を見付け出して、共通で遊べるルールを確立していきます。こうしたルールの解釈や変更は遊びの中で随時行われているため、ローカル・ルールが必ずできあがります。日本中のあちらこちらで行われていたような「ろくむし」や「ゴムだん」も、地方や年代によって行い方の違いが微妙にあります。
■自己責任
最終的にはだれもが楽しめるルールにするとなると、これはもう競技スポーツです。遊ぶことそのものが楽しかったことを越えて相手に勝つことだけが目的になる場合もあり、また、大人の世界でもスポーツのルール改正は行われています。一見すると子供のルール改正と同じように思えますが、子供の遊びの場合は、遊んでいる当事者たる子供がルールを改正しています。それゆえ、子供たちは自分たちで作ったルールに則って、楽しく遊んでいるのです。自己責任です。
5月
<教科書の重み>
■高い識字率
誰がどのようにして調べたのかは明らかではないですが、日本人の識字率(読み書きができ、理解できる能力をもつ人数の割合)は、江戸時代初期で50%、江戸時代末期では90%とまで言われています。識字率は基礎教育の浸透状況を測る指針として広く使われている数字ですが、同じ時代のイギリスでは20%、フランスでは10%未満というデータもあるそうです。江戸時代の日本の(或いは、江戸庶民の?)識字率は、当時の世界の中で極めて高かったと言えそうです。
■世界のトップ
江戸時代末期の識字率を調査したデータは、明治初期の文部省年報から推測された数値です。しかし、現実には、幕末期に来日したロシアのゴローニン氏は、その著書「日本幽囚記」のなかで、「日本には、読み書きできない人や祖国の法律を知らない人は一人もゐない」と、驚きと非常に高い評価をもって書いています。また、黒船でやってきた有名なペリーも、「教育は同帝国至る所に普及して居り」(『ぺルリ提督日本遠征記』より)と、当時の日本の教育の普及ぶりを書き記しています。まだ、学制が始まるずっと前の話です。
■寺子屋の存在
これらの成果を上げた理由の一つとして都市部を中心として発達した寺子屋をあげることができます。読み書き算盤の教育は地方でも行われ、その地域に住む子供の教育に、その地域に住む大人が責任をもってあたっていたようです。農村で納める年貢、村でのもめごとの調整などに文書が使われていたこともあり、生活していく必要から自主的に習得に励んでいました。地域ぐるみによる「生きて働く力」の育成が必要だったのです。地域の子は地域が育てていたのです。
■重い教科書
今の教科書は、「教室での使用を主目的とした分量の薄い教科書」から、「自学自習にも適した情報が十分掲載された教科書」にその特徴が変わりました。授業ために使うというスタンスは薄れ、家庭での復習や挑戦するページがより多く掲載されるようになりました。そのため数年前までの教科書に比べて、ページ数で25%増。厚く、大きくなっています。ランドセルは軽くなっても、教科書は重くなっているのです。お子さんと一緒に教科書を「観て」ください。子供たちが「生きて働く力」を確実に身に付けるためには、家庭での自学自習が欠かせません。
4月
<「学習」する子供たち>
■「学習」を積み重ねること
「麦茶のペットボトルを冷蔵庫から持って来て」と子供に伝えたとき、うまくできるでしょうか。事前に冷蔵庫がどこにあるか、どうやってドアを開けるのか、ペットボトルとは何かなど、いろいろな情報を知っていなければ、最初からはうまくいきません。しかし、子供が「学習」を積み重ねていくと、冷蔵庫を買い換えても、違う銘柄の麦茶に変えても、麦茶が他の食品に隠れてしまっていても、うまく運び出すことができるようになります。つまり「学習」とは、過去の類似の経験を元に再構成して行動を成し遂げることができるようになることといえます。
■AIに越えられない常識の壁
 AI(人工知能)を搭載したロボットにも麦茶を運ぶことはできますが、冷蔵庫を買い換えてしまうと、それを認識できるようプログラムし直さないと冷蔵庫にさえ辿り着けず、AIはその場に固まってしまいます。麦茶が奥にあるようなときでも「麦茶を持って来る」ことしかプログラムされていないので、手前の食品がどうなろうとAIの知ったことではありません。AIにとっての常識の壁は「学習」では越えられず、改めて膨大なプログラムが要求されることとなります。
■「チーム八坂」として
 子供たちの力をどのように引き出し、発揮できるようにするかは、子供たちの成長を見守るすべての大人の役割です。学校の教職員はもちろんですが、保護者・地域の皆様方も、それぞれの役割の中で子供たち一人一人に寄り添い、向き合い、手を差し伸べていただいております。このような大人集団の総称が「チーム八坂」です。「チーム八坂」の皆様方から学校の教育活動にご理解・ご支援をいただけることにより、教職員が子供への指導に一層専念できる環境が整えられ、子供たちの「学習」がすすんでいきます。
■新年度がスタートしました
これから始まる小学校生活への期待と不安で胸がはち切れそうな、そして輝く瞳をいっそうキラキラさせながら、新たに八坂小の仲間となる113名の1年生が門をくぐり、全校児童789名が新年度のスタートを切りました。教職員一同、子供たちが、これからどんな「学習」を積み重ねて成長を遂げてくれるのか、たいへん楽しみにしています。今年度の八坂小も、より質の高い教育活動が行えるよう教職員が一丸となって取り組みます。「チーム八坂」の皆様方、どうぞよろしくお願いいたします。
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バナースペース

東村山市立八坂小学校

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