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Higashimurayama city Yasaka Elementary School

TEL. 042-391-8115

〒189-0013 東京都東村山市栄町3-34-1

学校だより(巻頭)平成31年度CONCEPT


平成31年度(令和元年度)

3月号
<フライドポテトを作る>
■作業の段取り
あちこちで見かけるフライド・ポテトを自分で作ることになったとします。細かい手順もありますが、次の作業をどのような順番で行えばいいでしょうか。
A ポテトを揚げる
B 塩をふる
C ポテトの皮をむく
D ポテトを洗う
E ポテトを切る
これらの作業をAIに行わせようとしたとき、A〜Eをどのような順番に並べるか考えてから命令しなくてはなりません。これがプログラミングで、AIは、プログラムされたとおりに動きます。
■手順の違い
さて、仮にA→B→C→D→Eとプログラミングしたとき、AIは、どのようなフライド・ポテトを作るでしょうか?
このプログラミングによると、まず、最初からポテトを丸ごと揚げる(A)ことになり、次に揚げた丸ごとのポテトに塩をふって(B)から皮をむいて(C)、それをよく洗い(D)、最後に食べやすいように切って(E)完成です。どうも、あまりおいしそうなフライド・ポテトとは言えなさそうです。
■思考の回路
フライにされた(揚げられた)ジャガイモ(ポテト)ではあるので、名前のとおり「フライド・ポテト」であることは間違いありません。しかし、自分が望んだフライド・ポテトにはなりませんでした。その原因は、AIに作業を命じた自分にプログラミング的思考が働かなかったからと言えます。つまりそれは、解決に至る道すじをどのように自分が作っていくか考えていなかったということです。
なお、今回のプログラミングで、「フライド・ポテトは、やっぱり皮つきがいい」という人は、Cを選択しないでプログラミングすることもできます。
■プログラミング教育
プログラミング教育とは、「子供たちがプログラミングを体験しながら、コンピュータに意図した処理を行わせるために 必要な論理的思考力を身に付けるための学習活動」と位置付けられています。子供たちが生きる未来はAIとの共存は避けられません。AIがうまく機能するためのプログラムは、もともとは人間が考え出さなくてはなりません。そのための思考力を身に付けられるような学習が求められています。
2月号
<トイレの空き状況>
■トイレ改革
最近、駅や百貨店でよく見かけるようになった「トイレの空き状況」は、スマートフォンのアプリでも確認できるまでになってきました。利用者がトイレに行きたくなった時、「どこのトイレがすいているのか」をスマホ上で確認できるので、トイレの待ち時間が短縮されストレスも軽減されるという仕組みです。また、トイレ管理者にとっては利用状況がデータとして蓄積されるので、トイレを清掃するタイミングの最適化、トイレのブース追加・廃止など、効率的な運用ができるようになります。
■AIとIoT
話しかけるだけで音楽を流してくれるスマートスピーカーや賞味期限を管理してくれる冷蔵庫などの出現は、AIやIoT技術によるものです。これらの先端技術を活用し、経済発展と社会的課題の解決を図り、より豊かに生活できるようになる時代が目の前に来ています。近年注目を集める自動運転においてもIoTは必要不可欠な技術で、自動運転は車の状態をデータとしてクラウドで共有し、AIが運転の指示を与える必要があります。このとき、位置情報や走行状態といったデータはIoTの技術がなければ収集できません。
■今だから教育改革
社会というものは常に変化するものです。特に現在はAIやIoTなど様々な技術の発達により、目まぐるしく変化し続けています。社会が変化すると、求められる人材や必要な知識・能力も変化します。その変化に対応した力を持った人材を育成するには、教育も変える必要があります。それが教育改革です。つまり教育改革とは、社会の変化に応じて教育の内容を変えることです。4月からの教育改革には、AIの発展という社会的背景が大きく関係しているのです。
■「ユーチューバーになりたい」
科学技術の発展による変化の激しい時代において活躍できる資質・能力を備えた子供を育てる必要があります。AIやIoT技術が生活の中に入り込んでくる社会が10年、20年後に訪れると想定され、子供たちはそんな生活が当たり前の中を生きていく存在となります。ユーチューバーという言葉さえ一般には存在していなかった20年前、「ユーチューバーになりたい」と将来の夢を語るような子供は、存在しえませんでした。想定されているとはいえ20年後の未来に、どんな職業があるのか、今は誰にも分からないのです。
1月号
<「厚底」の教え>
■「薄い方がいいに決まっている」
金栗四三さん以来の流れで、「マラソン選手が履いているシューズは薄底」という固定観念がすっかりついている感じです。薄底は、接地感を高めて体の機能を発揮しやすい構造になっているため、半面疲れます。そこを「疲れないように鍛える」という精神論がスポーツに対する過去の代表的な発想でした。薄底がメインだった時代は、「厚底はブレるし、重いからダメ」としか考えられていませんでした。「薄ければ薄いほどいい」という定説が根強くあったため、「薄くて軽いのに反発力がある」シューズを目指した開発がされていました。
■固定観念からの脱却
しかし、データからはじき出された理想の走り方を可能にするシューズは、なるべく前傾姿勢にして、平地だけど坂道を下っているような感じに走れるような角度を保てるようなもの、そして、レース終盤でも足に疲れが残らない十分なクッション性を持たせた厚いけれど軽いものだったわけです。「薄く軽く」というそれまでの常識をいったんすべて疑って、新しい技術革新によって生み出されてできた厚底シューズは、長年、「厚いのはダメだ」と言ってきたその口を見事に塞いだのです。
■教育改革スタート目前
4月から日本の教育が一変します。学校で子供に何を教え、どのような学力を育てるかを定めた学習指導要領が新しくなるからです。教科書や入学試験もこれに沿って変わります。新たな教育の幕開けです。
社会構造は今、産業革命以来の大きな転換期を迎えています。モノの生産を礎とする産業社会から、知識の創造と活用が駆動する「知識基盤社会」へという変化です。この流れを受けて、世界的な規模で教育改革が進行しています。学習指導要領を刷新するのも新しい時代に対応するためです。
■「今までの当たり前」を問い直す
優秀な人材を効率的に育てる仕組みとして整備されたのが今の学校です。人から教わった正解をそのままの形で保持し、迅速かつ正確に再生することが学力の中核だった時代、自らの意思で工夫や創造を試みたり疑問を差し挟んだりすることは、疎んじられこそすれ決して歓迎されませんでした。教師に質問を繰り返したがゆえに、わずか3カ月で放校処分となったエジソンの逸話は、これまでの近代学校の独特な風土をよく象徴しています。4月から始まる新学習指導要領は、この近代学校制度の在り方を問い直すものになっています。
12月号
<睡眠・食事・運動、そして健康>
■睡眠
人間は、必ず「睡眠」をとります。睡眠中に体のさまざまな部位のメンテナンスを行うためですが、中でも脳のメンテナンスが最も重要です。睡眠不足が続くと、脳の機能低下につながりかねません。大人でも疲労感がたまると脳の働きが鈍くなり、それが重なってくるととりあえず「休養」し、さらに「睡眠」という形をとります。「休養」は意図的にとりますが、「睡眠」は、意図的でなくても居眠りのような状態になることもあり、人間の体が脳のメンテナンスを欲求していることによる自己防衛能力とも言えます。
■食事
おかずでおなか一杯なときは、「ちょっと、ご飯を減らそう」と思ったり、脂っこいものを摂ったあとには「あっさりしたものがいいな。」などと考えたり、食事は、コントロールしながら摂ることがあります。お正月に毎日たくさん食べてしまった後などは、「さあ、ダイエットしなくては…」と新年の決意表明をするケースもあります。子供たちも、栄養バランスがよいほうが健康には良いことを知っているので、嫌いな食べ物が出ても我慢しながら少しずつ食べます。
■運動
運動不足だと分かっていても、時間が取れないことなどを理由に、結果的に運動しなかったため成人病などになってしまうことがあります。「睡眠」や「食事」などは、意識するしないにかかわらず、ある程度コントロールできますが、これらの2つに比べて「運動」に関しては、生活の中に取り入れにくいことは、誰もが実感しているはずです。つまり、「睡眠」や「食事」は、健康のために大事だと分かっていて生活改善できるのですが、「運動」についてはその大切さを分かっていても生活の中に取り入れにくいのです。
■体育・健康教育地区公開講座
子供たちが過ごす学校でも「運動」に関しては、週3時間しかない体育の時間だけでは十分でなく、さりとて中休みや昼休みに外遊びを奨励しても、「疲れる」などと理屈を述べて、あまり体を使って遊ばない子供がいるのも事実です。
12月14日(土)の学校公開では、各学年が子供と健康に関する授業を公開します。その後は、「遊びと健康(仮題)」に関するトーク・ショーを予定しており、これらを通して、皆さんと一緒に子供たちの健康について考える講座を開きます。
11月号
<音楽は、世界のことば>
■「うたうこと」を楽しむ
運動会が終わったころから、学校のあちこちで子供たちの歌声が聞かれるようになりました。帰り道に、鼻歌のように歌って帰る子供たちもいます。それは、授業中に指導を受けた歌い方のポイントを意識して歌っているわけではなく、「歌」を楽しんでいるというより、「歌うこと」そのものを楽しんでいるように聞こえてきます。一つ一つの音符は無味乾燥なものでしかなくても、「歌」が、「歌うこと」から「歌って遊ぶということ」になって、おもしろさを感じているのでしょう。
■無意識に歌う子供たち
休み時間や放課後に歌っている、いや、無意識に歌ってしまっている子供たちは、伴奏さえないうえに楽譜を見ながら歌っているわけではなく、「歌うこと」そのものに、その楽しさを見出しているようです。初めて歌うときには、楽譜によって指導されるので音符を追いかけることが多いですが、「歌うこと」に夢中になるにつれ、つい歌いたくなる本能が人間にはあるようです。子供たちは、テレビから流れてくる音楽に共感すると、楽譜がなくても歌えるようになってしまうこともあり、その点では、大人は太刀打ちできません。
■人間と音楽の関係
ストレスや緊張を感じたときに音楽を聴いて気分を変えるという人は少なくありませんが、実はそれは太古の昔から続く人類の営みです。音楽と人間の関係は古く、そして深いものがあります。現在でも文字を持たない少数民族は存在しますが、人類史上、音楽のない文明はなかったといっても過言ではありません。かたや、人類に比較的近い霊長類ですら音楽に喜びを見出す感性はないのです。音楽を創り、聴き、楽しむのは人類だけの特権といえます。
■ひろげよう音楽の輪 つなごう心の輪
教室にあるオルガンで伴奏を弾き、それを取り囲むようにしてみんなで歌っています。ロッカーの上にあるグロッケンの前に楽譜が置かれていて、休み時間にいつでも練習できるようになっています。給食の時間には、毎日「パプリカ」が流れているので、そのメロディが耳から離れません。
音楽の父J・S・バッハは、「音楽は世界語であり、翻訳の必要がない。」とさえ言っています。誰もが楽しめる、オリンピック・パラリンピックのようです。
ひろげよう 音楽の輪
つなごう 心の輪
皆様、11/16の音楽会をお楽しみに。
10月号
<いいね!>
■自分を認めてほしい欲求
インスタグラム(Instagram)は、2019年7月18日に「いいね!」を非表示にする措置を、一部ユーザーを対象に試験的に開始したことを発表しました。これは自分の「いいね!」の数は確認できても、他のユーザーの「いいね!」の数は非表示になるというものです。SNS上では、結果の見える化が行われており、自分が「いいね!」と認められた結果を簡単に味わえるようになりました。友達や仲間以外の他人からも「いいね!」をもらえることから、多い方がなんだかうれしい上に、自分が他人よりも優れていると感じてしまいます。
■他人を蹴落としたい
すると今度は、他人に与えられる「いいね!」の数が過剰に気になり出します。他人の充実ぶりが気になって気になって仕方なくなり、自分への「いいね!」がもっと欲しくなるだけならいいのですが、それが高じて他人への誹謗中傷という選択に走ってしまうこともあります。特に、自分に自信のない人たちは、他人が自分よりも低く見られていれば安心です。不特定多数から認められる欲求を満たされて、友達や仲間から認められることがないと、多くがこのように “暴走”し、結果“炎上”します。
■甘やかしの「いいね!」の危険
アメリカの心理学者であるマズローの「欲求5段階説」によると、欲求にはおよその順番があり、まず、@食べたい、寝たいなど、A安全でいたい、守ってほしいなど、B家族や友達と一緒にいたいという「所属と愛の欲求」、そして4番目に「いいね!」と認められたいという「承認欲求」が位置付きます。これが満たされると、自分は世の中で役に立つ存在だという感情が湧いてきます。逆に満たされないと焦燥感や劣等感、無力感などの感情が現れてくるそうです。しかし、「いいね!」は、甘やかしに使われてしまうので要注意です。
■適正な評価としての「いいね!」
SNSが登場して不特定多数と簡単にコミュニケーションを取れる時代になり、「所属と愛の欲求」を飛ばして、「承認欲求」を満たすことができるようになりました。しかし、他人の「いいね!」には責任がなく、よくても悪くても「いいね!」と言われてしまうことがあります。友達や仲間は、単なる仲良しではなく「ダメならダメと、はっきり言う」批判的同僚性をもっているので、逆を返せば適正な「いいね!」を言い合える関係にあり、だからこそ、いつでも楽しく一緒に生活できるのです。
9月号
<走りたい、踊りたい、競い合いたい>
■なぜ、走りたいのか
「廊下を走っては、いけません」は、明治時代に学制が施行されてからの大きな課題です。すべったり友達とぶつかったりするかも知れないと分かっていても、つい、走ってしまいます。ほどよい直線が施された廊下は、走ることにとっては格好の環境となっています。また、「走る」ことは、人間だけでなく動物たちも見られる現象です。ライオンの子供がじゃれあいながら追いかけっこをする映像をよく目にしますね。人間を含めてある種の動物たちは、「走る」ことを楽しむようにプログラムされて地球上に誕生したのではないかと思われます。
■なぜ、踊りたいのか
音楽が聞こえたりリズムが刻まれていたりすると体が自然と動きます。幼児ならニコニコしながら手拍子を打とうとします。その手拍子は、たいていテンポが合っていませんが、実に楽しそうな表情を見せます。ほかの動物たちが「踊る」ということをしないので、人間独特の楽しみ方なのでしょう。リズムの共有による感情の共有が心地よいため無意識のうちに音楽に同調して踊るレベルから、言葉では伝えられないものを体全体で伝えるレベルまで、「踊り」は様々です。
■なぜ、競い合いたいのか
おしゃぶりをなめる感じ、高い高いをされる感じを楽しんだことを経て、自分の力で「はいはい」でバランスをとれる感じを楽しめるようになってくると、次に待っているのは、その能力を比べたくなる「競い合い」です。「競い合う」ためには相手が必要になり、自己の感覚だけでは遊びが成立しなくなります。そのため、自分のやりたい遊びと相手の主張を一致させ、相手のやる気を喚起するなど、対外的コミュニケーションの技術が少なからず求められようになります。ルールの概念や、公平性の概念などが発生します。
■ドキドキ、ワクワク、ハラハラ
子供たちが、そもそも公平性を期する目的は、双方が競い合うことをより楽しめるようにするものです。子供たちは、「自分が速く走れるかどうか」にドキドキし、「自分がうまく踊れるか」にワクワクし、「自分たちが勝てるかどうか」にハラハラします。そのため子供たちは、この「ドキドキ、ワクワク、ハラハラ」をもっと楽しめるよう、自分たちでよく考えて運動会を迎えようとしているのです。
9月28日の運動会では、こんな子供たちにご声援をお願いします。
7月号
<体の使い方を学ぶ>
■5人でも、勝てません
ハッピータイムで1年生と綱引きをする機会がありました。1年生は、グループを組んで4〜5人ががりです。1年生の一人当たりの平均体重がおよそ22kgとして、5人いればその5倍の100kg以上となり、私一人の体重をはるかに上回っています。しかし、1年生5人が5人ともフルパワーで挑んでいるはずであるにもかかわらず、結果は常に私の勝ちとなります。そこには、「引く」動きについての足の踏ん張り方の技能が影響しているように思えます。
■自主的運営による遊び
本校では、休み時間にも綱引きで自由に遊べるようにしています。休み時間の綱引きは、その綱に集まってきた子供だけですべて運営されています。学年も人数も関係なく、どちらのチームに加わっていても気にする子供がおらず、人数に差があったり、途中から反対側に寝返ったりしても誰も文句を言いません。「引く」ことだけをルールとして、よく遊んでいる状況です。
■「引く」動きを学ぶ
6年生は、体育の学習に綱引きを取り入れ、力強い動きを高める学習をしましたが、その足の踏ん張り方に3パターンあることが分かりました。
@両足をそろえている。
左右の足がそろっている状態で、左下の写真の左側のチームにもこのタイプが見られます。綱の右側で引いている高学年の2人に引かれまいとして我慢しているだけの状態です。
A後ろ側の足で、引こうとする。
6年生にも比較的多く見られたのがこのタイプです。足を前後に開きますが、後ろに引こうとするあまり、後ろ側の足だけに荷重がかかり、前側の足が浮いていて踏ん張れない状態になります。「引く」力強さを出し切れていません。
B前側の足で、突っ張っている。
これも足を前後に開きますが、前側の足で踏み止まっている形になるため、綱と体が一直線上になり、最も引く力が入りやすい体の使い方と言えます。
1年生が、5人がかりで私に挑んでも勝てない要因は、踏ん張りがきく体の使い方が、まだまだできていないことにありますが、こうした体の使い方は、遊んでいるうちにも身に付いていきます。
6月号
<当事者として考える>
■道徳の問題に向き合う
道徳の授業は、平成30年度から「特別の教科」として扱われるようになりました。子供から見ると、「週に1回ある、道徳の時間」ということしか分からないかもしれません。しかし、教科化されたことに伴い 「教科書を使う」「評価がある」などの違いが生まれました。それでも、「道徳の教科書って、前からあったじゃないか」と考えてしまいますが、それは、授業で使われる副読本という教材にすぎませんでした。教科書のように文部科学省の検定を通っては、いません。
■「ふれあい月間」に見つめ直す
道徳が教科化となったことで、「あゆみ(通知票)」に道徳の時間での学習状況をご家庭にお伝えすることになりました。一朝一夕では子供たちの生き方は変わらないので、本校では3月の「あゆみ」に記録しています。その他に、「考える道徳」「議論する道徳」への転換が、教科化となった大きな柱です。 子供たちが道徳の授業の中で、考えたり議論したりするためには、 子供たちの主体的な学びが必要になります。子供たちが道徳の問題を自分との関わりの中で考えることが大切です。「ふれあい月間」である6月は、自分を見つめ直すいい機会となります。
■「いじめ」と自分とのかかわり
例えば、「いじめ」の問題です。子供たちは、「いじめは、いけないことである」と頭ではよく分かっています。しかし、 当事者ではないと、身近に起きているいじめでも、考えることを停止してしまうこともあります。
「いじめ」は、 「いじめる子(加害者)」、「いじめられる子(被害者)」のほかに、これらの関係を取りまく「はやし立てる子(観衆)」や、それを「見て見ぬふりをする子(傍観者)」という集団が存在し、全体として四層構造からなっていると言われています。「いじめる子」や「はやし立てる子」への指導はもちろん重要です。「見て見ぬふりをする子」の中には、「何とかしたい」と考えて仲裁を果たそうとする子もいますが、自分には関係ない、自分はかかわらないと、知らんぷりを決め込んでいる子もいます。
道徳の時間に限らず、自分との関わりの中で当事者として「いじめ」を考えられるようにすることが必要です。
5月号
<そうじ>
■机をどかさない
自動的に部屋を掃除してくれるロボットがあります。このロボットには、「どこにごみがあるか」を見分ける機能はありません。ロボット自身が部屋の中を走ることで部屋の大きさを測り、どこを走ったか記憶しながら何度かそこをとおって、ごみを吸い取っていきます。しかし、このロボットは、机をどかしてまで掃除をしません。自分のサイズより狭いスペースには入りません。つまり、部屋の中を隅々まで走れるようにお膳立てしてあげて、初めて部屋がきれいになるのです。
■ごみを拾わない
ゴミ箱の形をしたロボットがあります。このロボットには、自分の周りにあるごみを見付けるセンサー機能がついています。ロボット自身があちこち動き回るうちにごみを見付けると、そのごみに近付いていきます。しかし、悲しいかな、このロボットには、見付けたごみを拾って入れる機能がありません。そこで、このロボットは、周りの人に訴えるようにモジモジし始めます。それに気付いた人が、「あ、このごみを入れてほしいのだな」と理解して、ごみを拾って捨てます。ごみを入れてもらって嬉しくなったロボットは、お礼をこめてお辞儀をするのです。
■AIに求められるもの
二つのロボットに共通なことは、掃除に関する仕事をするAIであるということといえます。AIと聞くと、人間の代わりに何でもできて、人間が何もしなくてよい社会が将来やってくるような印象を与えます。しかし、一つめのロボットは、AIとしての限界を示しており、AIが「机をどかすようにプログラムされていないから、やらない」と一方的に宣言すれば、そこでおしまいとなります。コミュニケーションが、そこには存在しません。
■子供の掃除は、すばらしい
二つ目のロボットは、ごみを吸い取るか拾い上げるようなアームを取り付ければモジモジしなくてもすむのですが、この開発者は、わざと「ごみを見付けるだけで拾えないロボット」をつくり、人間とのコミュニケーションを敢えて作り出そうとしたと言うのです。高機能を競い合うようなAIの開発が日々進み、その恩恵を受ける社会が確実に到来する世の中にあって、人間同士がコミュニケーションをとらなくても済むようになってしまうからです。
元号が新しくなりますが、今日も子供たちは、ほうきとぞうきんを持って、掃除の担当場所に出かけていきます。
4月号
<真の「チーム」とは?>
■自分の守備範囲
野球のゲームを見ていて気が付くことがあります。それは、特に守備をしているときに見られる光景です。打球は、最も近くの守備者が捕球しようとしますが、そのときに「自分の守備範囲じゃないから」という理由で「何もしなくていい」とのんきにしている守備者は、いません。たとえば、セカンド方向に打球が飛んだ場合に、万一セカンドがエラーをしたときのことを想定して、外野手がそこに近付いたり、送球がそれる可能性も見越してキャッチャーがカバーに行ったりと、組織的にチーム全員が動くのです。
■支え合う組織力
このようにゲームは、チームの組織力に支えられて進んでいきます。しかし、ゲームは、試合に出ている選手だけががんばればすむ話ではありません。ピンチの時に、代わりにピッチャーをする控えメンバーがいますし、メンバーを動かすコーチの存在もあります。また、その場にいないメンバーが普段の練習相手になったり、メンバーの栄養管理者、球場の経営者、用具の開発者などが、それぞれの役割を果たしたりするなど、多くの人々によってゲームは支えられていると言えます。これが「真のチーム」です。
■「チーム八坂」
子供たちの力をどのように引き出し、発揮できるようにするかは、子供たちの成長を見守るすべての大人の役割です。学校の教職員はもちろんですが、保護者・地域の皆様方も、それぞれの役割の中で子供たち一人一人に寄り添い、向き合い、手を差し伸べていただいております。このような大人集団の総称が「チーム八坂」です。「チーム八坂」の皆様方から学校の教育活動にご理解・ご支援をいただけることにより、教職員が子供への指導に一層専念できる環境が整えられ、子供たちの成長がいっそう図られます。
■780名でスタート
これから始まる小学校生活への期待と不安で胸がはち切れそうな、そして輝く瞳をいっそうキラキラさせながら、新たに八坂小の仲間となる127名の1年生が門をくぐり、全校児童780名が新年度のスタートを切りました。教職員一同、子供たちが、これからどんな成長を積み重ねてくれるのか、たいへん楽しみにしています。今年度の八坂小も、より質の高い教育活動が行えるよう教職員が一丸となって取り組みます。
「チーム八坂」の皆様方、どうぞよろしくお願いいたします。
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