学校だより


令和2年度

7月号:新しい生活様式
■凧の糸
凧が空高く飛べるのは
誰かが糸を
引っぱっているから

でも凧は
その糸さえなければ
もっと自由に
空を飛べると
思っている

その糸がなければ
地上に
落ちてしまうのも
知らずに

■「自由」をコントロールする
 これは、平成15年5月15日付のある新聞に掲載された詩です。この詩に対して曽野綾子氏は、「凧の糸は、失敗、苦労、不運、貧乏、家族に対する扶養義務、病気に対する精神的支援、理解されないこと、誤解されることなどのこと。それらは、確かに自由を縛るようには見えるが、その重い糸があるからこそ初めて凧は強風の青空に昂然と舞うのである。」と述べています。

■「ご自由にお使いください」
「自由」と聞くと、「何の束縛も無い」、「したいことができる」、「何やってもかまわない」との錯覚をしがちです。6年生が移動教室で行くはずだった(10月に延期)野沢温泉にあるお土産の方の話です。「うちのトイレは、お客様に使ってもらうために『ご自由にお使いください』と書いてあるので、どなたが使っていただいてもいいんですが、それでも何か一言あってもいいんじゃないかと思うんです。お土産を買いに来る子供だけが『トイレ、貸してください』『ありがとうございました』って言っています。」

■「自由」にできないを、どう過ごすか
給食の時間は、グループで机を合わせて「自由」におしゃべりしながら食べることが普通でした。しかしコロナ禍の今は、全員が前の黒板の方を向いて食べています。教室の中は、放送委員がかけてくれる音楽が流れてくるだけです。「自由」にしたいところを子供たちは、辛抱強く生活しています。「コロナに負けないンジャー」のように…。
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6月号:あたりまえ
■近所のラーメン店
家の近所にあるSというラーメン店も緊急事態宣言とともに営業を当面の間、自粛せざるをえない状況となり、4月からシャッターが閉まりっぱなしになりました。シャッターの張り紙に書かれた「当面の間、営業を自粛します」の文字が、悔しさを物語っているように感じました。ところが先週、それまで閉まっていたシャッターが半開きになっていたかと思うと、土曜日には店は開いていました。中に入ると、切り盛りするご夫婦の「どうも! いらっしゃい!」という元気な声といつもの笑顔。変わらぬ店内の光景にジーンときました。

■いつもの「あたりまえ」の味
店内を見回しても、昨日まで営業していたかの如く、ご夫婦ともいつもどおりに餃子を焼き、みそラーメンを作っています。何か不思議な感じでした。「昨日までは、何だったのだろう」と…。待ち焦がれた餃子とみそラーメンの味は、特段、格別においしかったというわけでなく、「いつものあの味だ。同じ店なんだから、あたりまえのことか。」と思いつつ、しかし、その「あたりまえ」なこと自体が妙にうれしくて、しみじみしながら餃子を平らげ、ラーメンの汁をすすりました。

■マスクからのぞく笑顔
学校が再開されるようになって、子供たちの日常が戻ってきたかのように見えます。とはいえ、はじめはクラスが午前と午後に分かれての分散登校です。隣の席の友達がいません。前や後ろの席のともだちもいません。近くにおしゃべりできる友達がいないためか、どのクラスも静かに勉強しています。それでも、友達と一緒に一つの空間を共有できることがうれしいようで、マスクの上からでもニコニコしている様子が分かります。

■学校の新しい生活様式
「3つの密に気を付ける」が合言葉ですが、休み時間には、ついつい友達に近寄ってしまいます。今後、クラスが一緒になってみんなで勉強できるようになったあとも、「学校の新しい生活様式」によってこれまであたりまえにできていたことが、あたりまえでなくなることがたくさんでてきます。仲よくしたいけど、近寄ってはいけないというジレンマが、子供たちを悩ませます。それでも子供たちは、ONLINEでは決して得られることのない学校という場所の匂いに、味に、風に、毎日どっぷりと浸りながら、仲良しの友達と一緒に成長していきます。
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5月号:「8時だョ! 全員集合」の功罪
■見せたくない番組 bP
昭和五十年頃に高視聴率を稼ぎ出した「8時だョ! 全員集合」について、当時のザ・ドリフターズのリーダーであったいかりや長介氏は、のちに「決して、子供向けの番組にしたつもりはない。」と語っています。コントには、メガホンで頭を殴る、食べ物を粗末にする、下品な言葉を使うなどが含まれており、子供たちが真似しては困るようなネタが満載でした。そのため、毎年のように、当時の日本PTA全国協議会から子供に見せたくない番組ワースト1位となっていました。

■コントと現実の峻別
いかりや氏が先生役となる学校コントでは、一部の子供が先生を馬鹿にしたり、立ち歩いたり、わざとふざけた答えを言ってみたりするなど、いわゆる“学級崩壊”に近い様相を示す時さえありました。しかし、当時の子供たちは、実際に学校では、そのようなことはしませんでした。さっきまでさんざん悪態をついていた加藤茶氏から、番組のエンディングで「宿題やったか?」「お風呂入れよ」と言われ、コントの世界から現実に引き戻されるからでしょうか。「また、来週も、がんばろう」という気持ちになったのでした。

■他人を傷つけない信念
先生役だけでなく隊長、課長、母ちゃんなどに扮するいかりや氏と、それに従う立場にある個性的なメンバーの織り成すコントは、アドリブやアクシデントによる笑いはなく、綿密に仕組まれていました。いかりや氏が、目指したものは、「メンバー以外、他人の悪口を言わない」「素人いじりをしない」「自分たちだけが知っている秘密をばらすことを許さない」コントでした。それは、他人を傷つけない中での笑いづくりに徹したプロ意識でした。

■「いのちとこころ」を考える
今、子供たちが見ているテレビ番組の中で、「人を馬鹿にする」「聞かれては困ることに『ピー』が入る」など、他人を誹謗中傷するようなシーンを見ることがあります。「人がいやがるようなことを言って、それをみんなで笑うことが楽しい」そして、「それは正しい笑いである」と子供たちが認識してしまうと、学校・学級という集団社会の中では、規律と秩序が崩れていきます。「人を傷つけないようにしよう」「来週も、がんばろう」と、子供たちの誰もがセルフジャッジできるよう、周りの環境をどう構築していくか、「チーム八坂」たる大人の責務です。
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 4月号:子供のための「チーム八坂」
■始まります、プログラミング
AI搭載ロボットを電車に乗せようとするとき、「ホームの待機線を感知せよ。周囲とぶつからないように並べ。ドアが開いたら乗れ。」と、目的を遂行するための手順をプログラムしないと動けません。しかし、このままでは、電車から降りてくる人がいた場合に困るので、「降りてくる人がいるかどうか感知せよ。いたら、乗るのを待て。」と、プログラムを追加します。さらに、ドアの正面で待っていたのでは、じゃまになるので、「降りてくる人を感知したら、右によけよ。」とプログラムしておく必要があります。

■主体的に考える力
このとき、「降りてくる人のじゃまだから」といった情報は、AIには、不必要です。降りてくる人をよけるAIを見て、「ちゃんと考えていて、おりこうさんだ。」と思ってしまうかもしれませんが、「命令どおりに動けば文句ないでしょ。」がAIです。その行動は、決して相手意識に立っていません。「相手のことを考えながら行動すること」や「過去の経験を活用して行動すること」は、AIにはできません。これからの時代、人から言われたことしかやらない“指示待ち人間”をこれ以上、育てるわけにはいかないのです。

■未来に生きる子供たちへ
AIが共存する未来を生きる子供たちに、どのような力を身に付け、また、その力をどのように引き出し、発揮できるようにするかは、子供たちにかかわり、彼らの成長を見守っていく全ての大人の役割です。学校・家庭・地域が、それぞれの役割の中で子供たち一人一人に寄り添い、向き合っていく大人集団の総称が、子供のための「チーム八坂」です。「チーム八坂」の皆様方にご理解、ご支援をいただけることにより、学校が子供への指導に一層専念できる環境が整えられ、子供たちの成長がいっそう図られます。

■「チーム八坂」
輝く瞳をいっそうキラキラさせながら、新たに八坂小の仲間となる103名の1年生が門をくぐり、全校児童758名が新年度のスタートを切りました。教職員一同、子供たちが、これからどんな成長を積み重ねてくれるのか、たいへん楽しみにしています。
新しい学習指導要領や働き方改革のスタートともなる今年度。教育内容や方法が大きく変わる中、より質の高い教育活動が行えるよう教職員が一丸となって取り組みます。「チーム八坂」の皆様方、どうぞよろしくお願いいたします。
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令和元年度(平成31年度)

 3月号:フライドポテトを作る
■作業の段取り
あちこちで見かけるフライド・ポテトを自分で作ることになったとします。細かい手順もありますが、次の作業をどのような順番で行えばいいでしょうか。
A ポテトを揚げる
B 塩をふる
C ポテトの皮をむく
D ポテトを洗う
E ポテトを切る
これらの作業をAIに行わせようとしたとき、A〜Eをどのような順番に並べるか考えてから命令しなくてはなりません。これがプログラミングで、AIは、プログラムされたとおりに動きます。

■手順の違い
さて、仮にA→B→C→D→Eとプログラミングしたとき、AIは、どのようなフライド・ポテトを作るでしょうか?
このプログラミングによると、まず、最初からポテトを丸ごと揚げる(A)ことになり、次に揚げた丸ごとのポテトに塩をふって(B)から皮をむいて(C)、それをよく洗い(D)、最後に食べやすいように切って(E)完成です。どうも、あまりおいしそうなフライド・ポテトとは言えなさそうです。

■思考の回路
フライにされた(揚げられた)ジャガイモ(ポテト)ではあるので、名前のとおり「フライド・ポテト」であることは間違いありません。しかし、自分が望んだフライド・ポテトにはなりませんでした。その原因は、AIに作業を命じた自分にプログラミング的思考が働かなかったからと言えます。つまりそれは、解決に至る道すじをどのように自分が作っていくか考えていなかったということです。
なお、今回のプログラミングで、「フライド・ポテトは、やっぱり皮つきがいい」という人は、Cを選択しないでプログラミングすることもできます。

■プログラミング教育
プログラミング教育とは、「子供たちがプログラミングを体験しながら、コンピュータに意図した処理を行わせるために 必要な論理的思考力を身に付けるための学習活動」と位置付けられています。子供たちが生きる未来はAIとの共存は避けられません。AIがうまく機能するためのプログラムは、もともとは人間が考え出さなくてはなりません。そのための思考力を身に付けられるような学習が求められています。
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 2月号:トイレの空き状況
■トイレ改革
最近、駅や百貨店でよく見かけるようになった「トイレの空き状況」は、スマートフォンのアプリでも確認できるまでになってきました。利用者がトイレに行きたくなった時、「どこのトイレがすいているのか」をスマホ上で確認できるので、トイレの待ち時間が短縮されストレスも軽減されるという仕組みです。また、トイレ管理者にとっては利用状況がデータとして蓄積されるので、トイレを清掃するタイミングの最適化、トイレのブース追加・廃止など、効率的な運用ができるようになります。

■AIとIoT
話しかけるだけで音楽を流してくれるスマートスピーカーや賞味期限を管理してくれる冷蔵庫などの出現は、AIやIoT技術によるものです。これらの先端技術を活用し、経済発展と社会的課題の解決を図り、より豊かに生活できるようになる時代が目の前に来ています。近年注目を集める自動運転においてもIoTは必要不可欠な技術で、自動運転は車の状態をデータとしてクラウドで共有し、AIが運転の指示を与える必要があります。このとき、位置情報や走行状態といったデータはIoTの技術がなければ収集できません。

■今だから教育改革
社会というものは常に変化するものです。特に現在はAIやIoTなど様々な技術の発達により、目まぐるしく変化し続けています。社会が変化すると、求められる人材や必要な知識・能力も変化します。その変化に対応した力を持った人材を育成するには、教育も変える必要があります。それが教育改革です。つまり教育改革とは、社会の変化に応じて教育の内容を変えることです。4月からの教育改革には、AIの発展という社会的背景が大きく関係しているのです。

■「ユーチューバーになりたい」
科学技術の発展による変化の激しい時代において活躍できる資質・能力を備えた子供を育てる必要があります。AIやIoT技術が生活の中に入り込んでくる社会が10年、20年後に訪れると想定され、子供たちはそんな生活が当たり前の中を生きていく存在となります。ユーチューバーという言葉さえ一般には存在していなかった20年前、「ユーチューバーになりたい」と将来の夢を語るような子供は、存在しえませんでした。想定されているとはいえ20年後の未来に、どんな職業があるのか、今は誰にも分からないのです。
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 1月号:「厚底」の教え
■「薄い方がいいに決まっている」
金栗四三さん以来の流れで、「マラソン選手が履いているシューズは薄底」という固定観念がすっかりついている感じです。薄底は、接地感を高めて体の機能を発揮しやすい構造になっているため、半面疲れます。そこを「疲れないように鍛える」という精神論がスポーツに対する過去の代表的な発想でした。薄底がメインだった時代は、「厚底はブレるし、重いからダメ」としか考えられていませんでした。「薄ければ薄いほどいい」という定説が根強くあったため、「薄くて軽いのに反発力がある」シューズを目指した開発がされていました。

■固定観念からの脱却
しかし、データからはじき出された理想の走り方を可能にするシューズは、なるべく前傾姿勢にして、平地だけど坂道を下っているような感じに走れるような角度を保てるようなもの、そして、レース終盤でも足に疲れが残らない十分なクッション性を持たせた厚いけれど軽いものだったわけです。「薄く軽く」というそれまでの常識をいったんすべて疑って、新しい技術革新によって生み出されてできた厚底シューズは、長年、「厚いのはダメだ」と言ってきたその口を見事に塞いだのです。

■教育改革スタート目前
4月から日本の教育が一変します。学校で子供に何を教え、どのような学力を育てるかを定めた学習指導要領が新しくなるからです。教科書や入学試験もこれに沿って変わります。新たな教育の幕開けです。
社会構造は今、産業革命以来の大きな転換期を迎えています。モノの生産を礎とする産業社会から、知識の創造と活用が駆動する「知識基盤社会」へという変化です。この流れを受けて、世界的な規模で教育改革が進行しています。学習指導要領を刷新するのも新しい時代に対応するためです。

■「今までの当たり前」を問い直す
優秀な人材を効率的に育てる仕組みとして整備されたのが今の学校です。人から教わった正解をそのままの形で保持し、迅速かつ正確に再生することが学力の中核だった時代、自らの意思で工夫や創造を試みたり疑問を差し挟んだりすることは、疎んじられこそすれ決して歓迎されませんでした。教師に質問を繰り返したがゆえに、わずか3カ月で放校処分となったエジソンの逸話は、これまでの近代学校の独特な風土をよく象徴しています。4月から始まる新学習指導要領は、この近代学校制度の在り方を問い直すものになっています。
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 12月号:睡眠・食事・運動、そして健康
■睡眠
人間は、必ず「睡眠」をとります。睡眠中に体のさまざまな部位のメンテナンスを行うためですが、中でも脳のメンテナンスが最も重要です。睡眠不足が続くと、脳の機能低下につながりかねません。大人でも疲労感がたまると脳の働きが鈍くなり、それが重なってくるととりあえず「休養」し、さらに「睡眠」という形をとります。「休養」は意図的にとりますが、「睡眠」は、意図的でなくても居眠りのような状態になることもあり、人間の体が脳のメンテナンスを欲求していることによる自己防衛能力とも言えます。

■食事
おかずでおなか一杯なときは、「ちょっと、ご飯を減らそう」と思ったり、脂っこいものを摂ったあとには「あっさりしたものがいいな。」などと考えたり、食事は、コントロールしながら摂ることがあります。お正月に毎日たくさん食べてしまった後などは、「さあ、ダイエットしなくては…」と新年の決意表明をするケースもあります。子供たちも、栄養バランスがよいほうが健康には良いことを知っているので、嫌いな食べ物が出ても我慢しながら少しずつ食べます。

■運動
運動不足だと分かっていても、時間が取れないことなどを理由に、結果的に運動しなかったため成人病などになってしまうことがあります。「睡眠」や「食事」などは、意識するしないにかかわらず、ある程度コントロールできますが、これらの2つに比べて「運動」に関しては、生活の中に取り入れにくいことは、誰もが実感しているはずです。つまり、「睡眠」や「食事」は、健康のために大事だと分かっていて生活改善できるのですが、「運動」についてはその大切さを分かっていても生活の中に取り入れにくいのです。

■体育・健康教育地区公開講座
子供たちが過ごす学校でも「運動」に関しては、週3時間しかない体育の時間だけでは十分でなく、さりとて中休みや昼休みに外遊びを奨励しても、「疲れる」などと理屈を述べて、あまり体を使って遊ばない子供がいるのも事実です。
12月14日(土)の学校公開では、各学年が子供と健康に関する授業を公開します。その後は、「遊びと健康(仮題)」に関するトーク・ショーを予定しており、これらを通して、皆さんと一緒に子供たちの健康について考える講座を開きます。
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 11月号:音楽は、世界のことば
■「うたうこと」を楽しむ
運動会が終わったころから、学校のあちこちで子供たちの歌声が聞かれるようになりました。帰り道に、鼻歌のように歌って帰る子供たちもいます。それは、授業中に指導を受けた歌い方のポイントを意識して歌っているわけではなく、「歌」を楽しんでいるというより、「歌うこと」そのものを楽しんでいるように聞こえてきます。一つ一つの音符は無味乾燥なものでしかなくても、「歌」が、「歌うこと」から「歌って遊ぶということ」になって、おもしろさを感じているのでしょう。

■無意識に歌う子供たち
休み時間や放課後に歌っている、いや、無意識に歌ってしまっている子供たちは、伴奏さえないうえに楽譜を見ながら歌っているわけではなく、「歌うこと」そのものに、その楽しさを見出しているようです。初めて歌うときには、楽譜によって指導されるので音符を追いかけることが多いですが、「歌うこと」に夢中になるにつれ、つい歌いたくなる本能が人間にはあるようです。子供たちは、テレビから流れてくる音楽に共感すると、楽譜がなくても歌えるようになってしまうこともあり、その点では、大人は太刀打ちできません。

■人間と音楽の関係
ストレスや緊張を感じたときに音楽を聴いて気分を変えるという人は少なくありませんが、実はそれは太古の昔から続く人類の営みです。音楽と人間の関係は古く、そして深いものがあります。現在でも文字を持たない少数民族は存在しますが、人類史上、音楽のない文明はなかったといっても過言ではありません。かたや、人類に比較的近い霊長類ですら音楽に喜びを見出す感性はないのです。音楽を創り、聴き、楽しむのは人類だけの特権といえます。

■ひろげよう音楽の輪 つなごう心の輪
教室にあるオルガンで伴奏を弾き、それを取り囲むようにしてみんなで歌っています。ロッカーの上にあるグロッケンの前に楽譜が置かれていて、休み時間にいつでも練習できるようになっています。給食の時間には、毎日「パプリカ」が流れているので、そのメロディが耳から離れません。
音楽の父J・S・バッハは、「音楽は世界語であり、翻訳の必要がない。」とさえ言っています。誰もが楽しめる、オリンピック・パラリンピックのようです。
ひろげよう 音楽の輪
つなごう 心の輪
皆様、11/16の音楽会をお楽しみに。
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 10月号:いいね!
■自分を認めてほしい欲求
インスタグラム(Instagram)は、2019年7月18日に「いいね!」を非表示にする措置を、一部ユーザーを対象に試験的に開始したことを発表しました。これは自分の「いいね!」の数は確認できても、他のユーザーの「いいね!」の数は非表示になるというものです。SNS上では、結果の見える化が行われており、自分が「いいね!」と認められた結果を簡単に味わえるようになりました。友達や仲間以外の他人からも「いいね!」をもらえることから、多い方がなんだかうれしい上に、自分が他人よりも優れていると感じてしまいます。

■他人を蹴落としたい
すると今度は、他人に与えられる「いいね!」の数が過剰に気になり出します。他人の充実ぶりが気になって気になって仕方なくなり、自分への「いいね!」がもっと欲しくなるだけならいいのですが、それが高じて他人への誹謗中傷という選択に走ってしまうこともあります。特に、自分に自信のない人たちは、他人が自分よりも低く見られていれば安心です。不特定多数から認められる欲求を満たされて、友達や仲間から認められることがないと、多くがこのように “暴走”し、結果“炎上”します。

■甘やかしの「いいね!」の危険
アメリカの心理学者であるマズローの「欲求5段階説」によると、欲求にはおよその順番があり、まず、@食べたい、寝たいなど、A安全でいたい、守ってほしいなど、B家族や友達と一緒にいたいという「所属と愛の欲求」、そして4番目に「いいね!」と認められたいという「承認欲求」が位置付きます。これが満たされると、自分は世の中で役に立つ存在だという感情が湧いてきます。逆に満たされないと焦燥感や劣等感、無力感などの感情が現れてくるそうです。しかし、「いいね!」は、甘やかしに使われてしまうので要注意です。

■適正な評価としての「いいね!」
SNSが登場して不特定多数と簡単にコミュニケーションを取れる時代になり、「所属と愛の欲求」を飛ばして、「承認欲求」を満たすことができるようになりました。しかし、他人の「いいね!」には責任がなく、よくても悪くても「いいね!」と言われてしまうことがあります。友達や仲間は、単なる仲良しではなく「ダメならダメと、はっきり言う」批判的同僚性をもっているので、逆を返せば適正な「いいね!」を言い合える関係にあり、だからこそ、いつでも楽しく一緒に生活できるのです。
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 9月号:走りたい、踊りたい、競い合いたい
■なぜ、走りたいのか
「廊下を走っては、いけません」は、明治時代に学制が施行されてからの大きな課題です。すべったり友達とぶつかったりするかも知れないと分かっていても、つい、走ってしまいます。ほどよい直線が施された廊下は、走ることにとっては格好の環境となっています。また、「走る」ことは、人間だけでなく動物たちも見られる現象です。ライオンの子供がじゃれあいながら追いかけっこをする映像をよく目にしますね。人間を含めてある種の動物たちは、「走る」ことを楽しむようにプログラムされて地球上に誕生したのではないかと思われます。

■なぜ、踊りたいのか
音楽が聞こえたりリズムが刻まれていたりすると体が自然と動きます。幼児ならニコニコしながら手拍子を打とうとします。その手拍子は、たいていテンポが合っていませんが、実に楽しそうな表情を見せます。ほかの動物たちが「踊る」ということをしないので、人間独特の楽しみ方なのでしょう。リズムの共有による感情の共有が心地よいため無意識のうちに音楽に同調して踊るレベルから、言葉では伝えられないものを体全体で伝えるレベルまで、「踊り」は様々です。

■なぜ、競い合いたいのか
おしゃぶりをなめる感じ、高い高いをされる感じを楽しんだことを経て、自分の力で「はいはい」でバランスをとれる感じを楽しめるようになってくると、次に待っているのは、その能力を比べたくなる「競い合い」です。「競い合う」ためには相手が必要になり、自己の感覚だけでは遊びが成立しなくなります。そのため、自分のやりたい遊びと相手の主張を一致させ、相手のやる気を喚起するなど、対外的コミュニケーションの技術が少なからず求められようになります。ルールの概念や、公平性の概念などが発生します。

■ドキドキ、ワクワク、ハラハラ
子供たちが、そもそも公平性を期する目的は、双方が競い合うことをより楽しめるようにするものです。子供たちは、「自分が速く走れるかどうか」にドキドキし、「自分がうまく踊れるか」にワクワクし、「自分たちが勝てるかどうか」にハラハラします。そのため子供たちは、この「ドキドキ、ワクワク、ハラハラ」をもっと楽しめるよう、自分たちでよく考えて運動会を迎えようとしているのです。
9月28日の運動会では、こんな子供たちにご声援をお願いします。
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 7月号:体の使い方を学ぶ
■5人でも、勝てません
ハッピータイムで1年生と綱引きをする機会がありました。1年生は、グループを組んで4〜5人ががりです。1年生の一人当たりの平均体重がおよそ22kgとして、5人いればその5倍の100kg以上となり、私一人の体重をはるかに上回っています。しかし、1年生5人が5人ともフルパワーで挑んでいるはずであるにもかかわらず、結果は常に私の勝ちとなります。そこには、「引く」動きについての足の踏ん張り方の技能が影響しているように思えます。

■自主的運営による遊び
本校では、休み時間にも綱引きで自由に遊べるようにしています。休み時間の綱引きは、その綱に集まってきた子供だけですべて運営されています。学年も人数も関係なく、どちらのチームに加わっていても気にする子供がおらず、人数に差があったり、途中から反対側に寝返ったりしても誰も文句を言いません。「引く」ことだけをルールとして、よく遊んでいる状況です。

■「引く」動きを学ぶ
6年生は、体育の学習に綱引きを取り入れ、力強い動きを高める学習をしましたが、その足の踏ん張り方に3パターンあることが分かりました。
@両足をそろえている。
左右の足がそろっている状態で、左下の写真の左側のチームにもこのタイプが見られます。綱の右側で引いている高学年の2人に引かれまいとして我慢しているだけの状態です。
A後ろ側の足で、引こうとする。
6年生にも比較的多く見られたのがこのタイプです。足を前後に開きますが、後ろに引こうとするあまり、後ろ側の足だけに荷重がかかり、前側の足が浮いていて踏ん張れない状態になります。「引く」力強さを出し切れていません。
B前側の足で、突っ張っている。
これも足を前後に開きますが、前側の足で踏み止まっている形になるため、綱と体が一直線上になり、最も引く力が入りやすい体の使い方と言えます。
1年生が、5人がかりで私に挑んでも勝てない要因は、踏ん張りがきく体の使い方が、まだまだできていないことにありますが、こうした体の使い方は、遊んでいるうちにも身に付いていきます。
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 6月号:当事者として考える
■道徳の問題に向き合う
道徳の授業は、平成30年度から「特別の教科」として扱われるようになりました。子供から見ると、「週に1回ある、道徳の時間」ということしか分からないかもしれません。しかし、教科化されたことに伴い 「教科書を使う」「評価がある」などの違いが生まれました。それでも、「道徳の教科書って、前からあったじゃないか」と考えてしまいますが、それは、授業で使われる副読本という教材にすぎませんでした。教科書のように文部科学省の検定を通っては、いません。

■「ふれあい月間」に見つめ直す
道徳が教科化となったことで、「あゆみ(通知票)」に道徳の時間での学習状況をご家庭にお伝えすることになりました。一朝一夕では子供たちの生き方は変わらないので、本校では3月の「あゆみ」に記録しています。その他に、「考える道徳」「議論する道徳」への転換が、教科化となった大きな柱です。 子供たちが道徳の授業の中で、考えたり議論したりするためには、 子供たちの主体的な学びが必要になります。子供たちが道徳の問題を自分との関わりの中で考えることが大切です。「ふれあい月間」である6月は、自分を見つめ直すいい機会となります。

■「いじめ」と自分とのかかわり
例えば、「いじめ」の問題です。子供たちは、「いじめは、いけないことである」と頭ではよく分かっています。しかし、 当事者ではないと、 身近に起きているいじめでも、考えることを停止してしまうこともあります。
「いじめ」は、 「いじめる子(加害者)」、「いじめられる子(被害者)」のほかに、これらの関係を取りまく「はやし立てる子(観衆)」や、それを「見て見ぬふりをする子(傍観者)」という集団が存在し、全体として四層構造からなっていると言われています。「いじめる子」や「はやし立てる子」への指導はもちろん重要です。「見て見ぬふりをする子」の中には、「何とかしたい」と考えて仲裁を果たそうとする子もいますが、自分には関係ない、自分はかかわらないと、知らんぷりを決め込んでいる子もいます。
道徳の時間に限らず、自分との関わりの中で当事者として「いじめ」を考えられるようにすることが必要です。
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 5月号:そうじ
■机をどかさない
自動的に部屋を掃除してくれるロボットがあります。このロボットには、「どこにごみがあるか」を見分ける機能はありません。ロボット自身が部屋の中を走ることで部屋の大きさを測り、どこを走ったか記憶しながら何度かそこをとおって、ごみを吸い取っていきます。しかし、このロボットは、机をどかしてまで掃除をしません。自分のサイズより狭いスペースには入りません。つまり、部屋の中を隅々まで走れるようにお膳立てしてあげて、初めて部屋がきれいになるのです。

■ごみを拾わない
ゴミ箱の形をしたロボットがあります。このロボットには、自分の周りにあるごみを見付けるセンサー機能がついています。ロボット自身があちこち動き回るうちにごみを見付けると、そのごみに近付いていきます。しかし、悲しいかな、このロボットには、見付けたごみを拾って入れる機能がありません。そこで、このロボットは、周りの人に訴えるようにモジモジし始めます。それに気付いた人が、「あ、このごみを入れてほしいのだな」と理解して、ごみを拾って捨てます。ごみを入れてもらって嬉しくなったロボットは、お礼をこめてお辞儀をするのです。

■AIに求められるもの
二つのロボットに共通なことは、掃除に関する仕事をするAIであるということといえます。AIと聞くと、人間の代わりに何でもできて、人間が何もしなくてよい社会が将来やってくるような印象を与えます。しかし、一つめのロボットは、AIとしての限界を示しており、AIが「机をどかすようにプログラムされていないから、やらない」と一方的に宣言すれば、そこでおしまいとなります。コミュニケーションが、そこには存在しません。

■子供の掃除は、すばらしい
二つ目のロボットは、ごみを吸い取るか拾い上げるようなアームを取り付ければモジモジしなくてもすむのですが、この開発者は、わざと「ごみを見付けるだけで拾えないロボット」をつくり、人間とのコミュニケーションを敢えて作り出そうとしたと言うのです。高機能を競い合うようなAIの開発が日々進み、その恩恵を受ける社会が確実に到来する世の中にあって、人間同士がコミュニケーションをとらなくても済むようになってしまうからです。
元号が新しくなりますが、今日も子供たちは、ほうきとぞうきんを持って、掃除の担当場所に出かけていきます。
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 4月号:真の「チーム」とは?
■自分の守備範囲
野球のゲームを見ていて気が付くことがあります。それは、特に守備をしているときに見られる光景です。打球は、最も近くの守備者が捕球しようとしますが、そのときに「自分の守備範囲じゃないから」という理由で「何もしなくていい」とのんきにしている守備者は、いません。たとえば、セカンド方向に打球が飛んだ場合に、万一セカンドがエラーをしたときのことを想定して、外野手がそこに近付いたり、送球がそれる可能性も見越してキャッチャーがカバーに行ったりと、組織的にチーム全員が動くのです。

■支え合う組織力
このようにゲームは、チームの組織力に支えられて進んでいきます。しかし、ゲームは、試合に出ている選手だけががんばればすむ話ではありません。ピンチの時に、代わりにピッチャーをする控えメンバーがいますし、メンバーを動かすコーチの存在もあります。また、その場にいないメンバーが普段の練習相手になったり、メンバーの栄養管理者、球場の経営者、用具の開発者などが、それぞれの役割を果たしたりするなど、多くの人々によってゲームは支えられていると言えます。これが「真のチーム」です。

■「チーム八坂」
子供たちの力をどのように引き出し、発揮できるようにするかは、子供たちの成長を見守るすべての大人の役割です。学校の教職員はもちろんですが、保護者・地域の皆様方も、それぞれの役割の中で子供たち一人一人に寄り添い、向き合い、手を差し伸べていただいております。このような大人集団の総称が「チーム八坂」です。「チーム八坂」の皆様方から学校の教育活動にご理解・ご支援をいただけることにより、教職員が子供への指導に一層専念できる環境が整えられ、子供たちの成長がいっそう図られます。

■780名でスタート
これから始まる小学校生活への期待と不安で胸がはち切れそうな、そして輝く瞳をいっそうキラキラさせながら、新たに八坂小の仲間となる127名の1年生が門をくぐり、全校児童780名が新年度のスタートを切りました。教職員一同、子供たちが、これからどんな成長を積み重ねてくれるのか、たいへん楽しみにしています。今年度の八坂小も、より質の高い教育活動が行えるよう教職員が一丸となって取り組みます。
「チーム八坂」の皆様方、どうぞよろしくお願いいたします。
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平成30年度

 3月号:自動改札
■切符を買って乗る
子供の頃、電車に乗るときには、必ず駅の人と話をしなければなりませんでした。いちいち切符を買わなくてはならなかったからです。出札口の駅員さんに行き先の駅名を伝え、人数を伝えて切符を買いました。「所沢駅まで大人1枚子供2枚お願いします。」という具合です。駅員さんが値段を言ってくれたあと、お金を払い、切符がやっと手に入ります。買った大切な切符を片手に、今度は改札口の駅員の方に切符を切ってもらいました。

■「ピ!」とバタン
駅を出るときにも改札口の駅員さんに切符を渡します。駅員さんは、どこの駅から乗ると運賃がいくらかをよく知っていて、まちがった切符の場合には、それをきちんと見付けて「もしもし、お客さん。」などと教えてくれます。
今は、切符を買わなくても電車に乗れるようなシステムがあります。事前に入金してある交通系カードを自動改札にかざすと、「ピ!」と読み取って最低運賃が引かれ、降りる駅でも「ピ!」で、残りの運賃が自動的に引かれます。カード残金が足らないと、腰のあたりの扉がバタンと閉まって通せんぼされます。優しい駅員さんの声掛けとは、少し違います。

■人に接しないようにする時代?
AIの技術革新は、とどまるところを知らず、日々進歩しています。新幹線などの指定席に乗るときは、昔は車掌さんが「切符を拝見させていただきます」と言いながら「座っている人が席を間違えていないか」切符を確かめてハンコを押すという検札をしていましたが、今では、自動改札を通れば車掌さんの端末にデータが送信され、いちいち切符を確認することをしなくてすむようになりました。

■AI時代の学校
卒業間近の6年生数名ずつが、毎日、校長室に入れ替わりやってくるので、一緒に給食を食べています。AI時代を生きていくこととなる6年生に「学校の先生がAIだったら、どうか?」と質問をしています。まだ、全員と話をしたわけではありませんが、今のところAI化を好ましいと考えている6年生はいないようです。「表情がないから、困っているときに一緒に相談に乗ってくれなさそう。」「ロボットに叱られるのは、いい気分じゃない。」「ロボットは、決められたことしか教えないので、個性がない」「話が脱線しないので、授業がつまらなさそう」etc.
どうやら、学校の先生のAI化は、まだまだ進みそうもありません。
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 2月号:「ありがとう」って伝えたい
■あいさつをしよう
本校では、あいさつをしっかりできる子供を育てています。1月の目標もそれでした。子供たちに、どんなあいさつがあるか聞いてみると、まず返って来る答えは、「おはようございます」「さようなら」などです。「もっと、ほかに無いでしょうか?」と聞いてみると、「いただきます」「ごめんなさい」などと続き、やっと最後のほうに「ありがとう」が出てきます。「ありがとう」は、あいさつの言葉としては、認識しづらいのでしょうか。

■あいさつのしかた
2年生が学習している九九検定の最後の関門が、校長室で行われる「九九とくべん」です。校長室に入るあいさつでは、「失礼します」「2年○組の○○です」「九九とくべんに来ました」など、いろいろなあいさつの仕方を学んでいます。校長室に一人で入っていくので、この初めのあいさつから緊張して肝心の九九を間違えて悔しがる子もいますが、最後の「ありがとうございました」は、忘れません。しかし、こうして身に付いたあいさつの仕方も、地域の方々によれば、「小学校のときは、朝から元気にあいさつができていた子が、中学生になると照れくさいのか…」という場合が多いようです。

■「ありがとう」は、言いにくい?
数年前のCMのひとコマです。
息子の高校入学と同時に買った弁当箱。毎朝、母は台所に立って弁当を作る。初日は、息子の好物弁当。その後、毎日3年間、季節に合わせた彩りのよい弁当を、登校する息子に玄関で「はい!」と笑顔で渡す母。無愛想な年頃の息子は返事なし。でも、必ず空っぽになって戻ってくる弁当箱が息子の返事だと母は信じている。卒業が間近となった弁当最終日に、母は初日と同じ好物弁当を2つ作る。1つはいつもどおり笑顔で「はい!」と息子に渡し、もう1つを持って近所の川に行く。たった一人で土手に座り、「うん、おいしい! 3年間がんばった私、えらい!」と息子と同じ弁当を食べながら母は自分をほめる。夜、いつもどおりに食卓に置かれた弁当箱を洗おうとした母の顔が、突然ゆがむ。空っぽの弁当箱の中には息子の字で小さなメモ。『ありがとうってずっと言えなくてごめん!』

■「ありがとう」は、感謝の心
先の展覧会で6年生は「サンクス プレート」に「ありがとう」の思いを込めていましたし、これから4年生は「2分の1成人式」で「ありがとう」を伝えるはずです。そのほか多くの場面で本校の子供たち全員が、これまで自分たちを温かく見守り支えてくださった方々へ、気持ちのこもった「ありがとう」の言葉で伝えられるはずです。
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 1月号:「そうぞう」を楽しむ
■AI時代の「そうぞう」
AIスピーカーに話しかければ部屋の照明をONしてくれたり気に入った音楽をかけてくれたりする時代です。この先、何年或いは何十年か経つとこれまでより様々なAIが生まれて生産効率が非常に上がるので、多くの労働はすべてAIに任せる世界になるかもしれません。学校の先生など、完全にAI化できそうもない職業もありますが、もし、人が働かなくてもいい世界になった時、どう時間を費やすかが問題です。その時に必要なのが、音楽やスポーツ、そして美術などへの「そうぞう」であるように思えます。

■伝統文化としての「そうぞう」
時を遡って考えれば、江戸時代は300年近くも平和な時代が続きました。内戦どころか諸外国との戦争も起こらなかったので貧しい武士もやることがなく、趣味に明け暮れ、楽しく暮らしていました。そのため、多くの稽古事が日本独特の文化として発達したのでした。歌舞伎、浮世絵、俳句や三味線なども江戸時代に生まれ、発展しました。果てしなく続く素晴らしい「そうぞう」の世界を築き上げた時代であったといえます。平和な時代にどう過ごすかという問題の答を、日本は江戸時代に出していたのでしょう。

■「そうぞう」の見えない部分
今の日本では、アニメが世界的・社会的な評価を得ていますが、アニメは見えるものがすべてとして、言葉としても語らせています。そういった意味ではアニメの娯楽性は強いといえます。子供たちが作る個性豊かな「そうぞう」の数々は、そこまでやらず、むしろ言葉にならないもの、語れないものを描いていることもあります。そのため、「そうぞう」であるがゆえの見えない部分まで何かが見えてくる不思議さでいっぱいです。

■そうぞう力(りょく) 無限大
作品鑑賞では、見る人の数だけ「そうぞう」があります。目の前にあるものだけを見るのではなく、その背後にあるものを読み取ることで、ある時には、アーティストが意図して表現していないことまで感じ取れることもあるからです。そのときには、人がよいといったからよいと見るのではなく、自分自身の価値観や考え方・感性に立脚して、それをどう考えどう思うのか、自分の生き方からの視点が必要となってくるのです。
今月下旬、「そうぞう力 無限大 八坂わくわく美術館」が開催されます。子供たち一人一人の個性豊かな「そうぞう」を“美術館”で感じ取ってください。
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 12月号:人の子も叱りましょう
■波平さんは、叱る
子供を育てていく上で、必ず必要になるのが「叱る」ことです。昭和時代には、近所の“カミナリ親父”からすごい怒鳴り声で「コラーッ!」と叱られるので、子供たちは、二度と過ちはするまいと心に誓いました。サザエさんのお父さんである波平さんは、カツオくん、ワカメちゃんだけでなく近所の子供もよく叱っていました。当時の子供たちが受けた地域の人からのお叱りは、「うちの子がご迷惑を掛けて…」と受け止められていましたが、最近では「関係ないあなたがなんで、うちの子を叱るんですか!」と、残念ながら逆切れされるという話も聞かれます。

■うまく叱れない?
「ほめて育てよう」といった風潮もある中、子供をうまく叱ることができず、良いことと悪いことの判断がつかない子供も増えているようです。平成26年度の都政モニター調査によると、「子供が社会のルールやマナーを守れない原因」は、@正しいルールやマナーが身についていない大人が増えているから、A悪い行為をした時に子供を叱れる保護者が減っているからという回答が78%を超えています。では、どんな時にきちんと子供を叱る必要があるのでしょうか。

■叱るとき
大人が子供の行動を見て「叱るべき」と感じることのうち次の3つは見逃してはならない行為で、相手が誰であっても叱ることが重要です。
@ 生命に関わるようなことや危ないことをしたとき → 急に道路に飛び出す、高い場所から身を乗り出すなど、
A「大事なこと」に関するルールを破ったとき → 家でのスマホの使用時間を破った、友達との約束を面倒だからと言って簡単に破る、
B人に迷惑をかけるようなことをしたとき → B電車の中で大騒ぎをする、スーパーで走り回る、

■叱られないと…
スーパーで走り回っていてもニコニコして「ダメよー。そんなことしちゃ。また、あのおじさんに怒られるわよ」と言うのは、叱っていることにならないです。誰かに叱られるから行為を中止するのではなく、行為そのものがいけないことであると分からせないことには、叱ったことにならないです。そのように育てられた子供は、自分のやりたい放題の気持ちを抑えることができず、社会性がなくなります。「うちの子」と同様に、他人の子に対しても愛情をもって叱りましょう。
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 11月号:遊びが子供を育てる
■トラブルと背中合わせの休み時間
中休みになると多くの子供たちが校庭に出て元気に遊んでいます。ボールを使ったり、鬼ごっこのようなことをしたり、なわとびや竹馬にチャレンジしたりと様々です。子供たちは、とても仲よく遊んでいますが、いつもいつも遊びがうまく行くとは限りません。自分たちで決めた遊びなのに、ちょっとズルをしてしまうこともあります。夢中になりすぎて友達とぶつかり、けがをさせてしまうこともあります。楽しい遊びには、必ずこうしたリスクがつきまといますが、それを自分たちで折り合いを付けていけるようになるためには、遊ぶしかないのです。

■泣いている子に寄り添うことを学ぶ
ある日、一人の泣いている子を見かけました。ベンチに座っています。まだ、休み時間が始まったばかりです。その子の隣に数人の子たちがいて、心配しているのか顔を覗き込んでいました。泣いている子と心配そうにしている子たちは、違う学年でした。泣いている原因を聞いてみると「なんか、嘘つかれたんだって」という答えでした。一緒に遊んでいたわけでなく、けがをさせてしまったわけでもない、遊び仲間で言えばまったくの第三者がなぐさめている場面でした。

■友達と仲直りする仕方を学ぶ
心配そうにしている子たちには、「ありがとう」と伝え、自分たちの遊びに向かわせたので、そこには、泣いている子と自分の二人だけになりました。確かに「嘘をつかれた」と訴えていました。少したつと、泣いていた子と一緒に遊んでいた多くの子供たちがやってきました。「どうしたの?」と聞いてあげる子、「ごめんね」と言う子、「最初から、やりなおそう」と励ます子など様々です。鬼ごっこでのトラブルだったようですが、結局、鬼を決めるところからやり直し、みんなそろってまた、遊び始めました。

■効果を期待して遊ばない
水曜日に行われている八坂ハッピータイムも遊びの一つです。遊びとは、本来自由で主体的な活動です。だからこそ子供たちは、遊びの中に楽しさを見い出し時間を忘れて遊びます。楽しいから遊び、楽しくなくなったら遊びをやめるかルールを変えます。それが子供たちの自然な姿です。遊びは運動能力の向上に役立つとか情緒を安定させるのに役立つとか社会性が身に付くとか、大人は、遊びにそのような効果を期待し、事実、そのような能力も育つのですが、子供はそんなことを考えながら遊ばないのです。
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 10月号:かめときつね
■どちらが怠け者でしょう?
兎に勝った亀が狐を見付けてまた、競走がしたくなり「向こうの小山のふもとまでどっちが先にかけ着くか競走しよう」と言いました。
向こうの小山からは小川が流れていました。狐は亀に「亀さんあなたは泳げることに特徴がある。この小川を泳げばもっと早く着くよ。」と言ったので、亀は「どんなに遅くても、勤勉に泳げば勝てる」と思い何時間もせっせと泳ぎました。ところが川の流れの速さより速くは泳げなかったので、もとのところを一生懸命に泳いでいました。亀は自分が一歩も進んでいないなど考えてもみませんでした。
狐は、「兎が亀に負けたのはいねむりをしたからだ、いねむりさえしなければ大丈夫だ」と思い、亀が泳ぐのを見ていました。しかし、自分で歩いていくのは面倒くさいので、馬でも来ればうまく馬をだまして乗っていこうか、それとも飛行機に化けて飛んでいこうかなどと、ねころんで考えてばかりいました。こうしてとうとう夕暮になってしまい、2匹とももとの所にいたことがわかり競走をやめてしまいました。さて一体どっちが怠け者でしょうか。
〈武谷三男「文化論」(1969年)より〉

■ポジティブに考える「よい結果」
皆さんはどのように考えますか?「怠けもの」とは、すなわち「何も行動しない、不活発」というイメージがある分、心情的には「亀は怠け者ではない」と思う人が多いかもしれません。
作者は、「亀は行動の勤勉、思惟(深く考えること)の怠慢で、狐は思惟の勤勉、行動の怠慢」と述べています。つまり、亀はよく行動したけれども自分の行動が有効であるかどうかについてよく考えず、一方の狐はよく考えたけれども、あれこれ浮かんできた考えを一つも実行せず、両者とも何も得なかったことになります。
この寓話のメッセージは「よい結果を生み出すためには、よく考えて、よく行動することが大切」ということではないでしょうか。時には亀のように無心で頑張ることも必要ですが、狐のように何もしないほうがいいこともあるでしょう。でもそれは、よく考えて「無心で頑張ること」を選んだり、「何もしないという行動」を選んだりすることで「よい結果」につながっていくのだと思います。
「夕暮までもとの所にいた」という「よくない結果」も、視点を変えれば亀と狐が自身の行動を省みるチャンスとして「よい結果」になり得るのです。 
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 9月号:する、みる、ささえる、しる
■速く走る
速く走ることは、人間にとっての大きなテーマです。狩猟が中心の時代には、獲物となる動物を追いかけるだけのスピードが必要で、スピード競走に負ければ、肉が食べられなくなるという、命にかかわる重要な問題でした。相手との競走だけでなく時間との競走でも速く走ることは求められました。戦いに勝ったことを知らせるため約40kmをできるだけ速く走った戦士の話から、マラソンが生まれました。太宰治の「走れメロス」でも、自分を信じて疑わない友人の命を救うために、体力の限界にまで達するほどに速く走り続けます。

■走る速さ
走る速さは、ピッチとストライドで決まります。ピッチとは、1秒間に何歩進んだかをあらわします。ストライドは、1歩で進んだ距離をあらわします。いわゆる歩幅です。ピッチが速ければ速いほど、つまり「トーントーントーントーン」と走るよりも「タッタッタッタッ」のほうが速く走ることができます。また、ストライドについては、1歩が大きいほど速く走れることになります。1歩で30cm違えば10歩で3m、50歩では15mもの差になるからです。

■速く走るために
ある研究によると、トレーニングを積んでいくと「ピッチにはそれほど変化は無いが、ストライドが伸びるので速くなった」という報告があります。100m走の日本記録を持つ桐生祥秀選手のピッチと6年生のピッチは、それほど変わることはないそうです。誰もがたいていは1秒間に4歩ぐらいで走るのです。しかし、桐生選手のように速く走れないのは、ストライドが決定的に違うからです。ストライドを伸ばすために短距離走の選手は、足腰だけでなく上半身も鍛えなくてはなりません。体の発育が十分でない小学生には、ここまでは無理です。

■する、みる、ささえる、しる
運動会では、かけっこ・短距離走があり、一人一人の子供たちが走る(する)ことになります。また、友達が一所懸命走っているところを見る(みる)ときに、声を出して応援する(ささえる)こともします。係活動をする子供たちも仕事を(ささえる)しています。そして、走ることを通して、走るときの気持ちよさや友達と勝負をするときの緊張感、勝ったときの喜びや負けたときの悔しさを味わう(しる)ことになります。今年の運動会は、9月29日(土)です。
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7月号:ほんものにふれる夏休み
■AIの時代に生きる
コンピュータで調べたりゲームソフトで遊んだり、子供たちの周りには“疑似体験”ができるツールでいっぱいです。AI時代に生きる子供たちは、それらを何事もないように使いこなしています。他の国々の様子、宇宙旅行、海底探検など、見たこともない世界が目の前の画面に広がり、行ったこともない所に行ったような気分にもなれるのです。自分で本物を体験していなくても、あたかも体験したことがあるかのような、ある種の“錯覚”をしていることにもなります。

■同じ風景を見た
15年ほど前の今ごろ、ある中学校三年生の修学旅行に付き添って京都方面へ出かけたときの話です。二日目に保津川下りで船に乗ることになりました。船頭さんが巧みに竿をあやつって、船は川を下っていきます。途中、少し川幅が広くなったあたりで、渓流の様子や周囲の山並み、セミの鳴き声、ギラギラした太陽を感じながら船に乗っていたある男子生徒が、こんなことを言いました。「ここ、『ぼくのなつやすみ』と同じじゃん。」すると、その生徒の友達も、「おお、マジでそっくり」と、二人は船の上で大はしゃぎです。

■「ぼくのなつやすみ」
「ぼくのなつやすみ」とは、ゲームソフトの名前です。田舎の親戚の家へ預けられた九歳の男の子が、夏休みの一ヶ月間、森や山に囲まれた自然の中で、昆虫採集や虫相撲、魚釣りなど、昔の子供達がしたであろう遊びをひとつずつクリアしていくというゲームです。川下りの船に乗っていた二人の中学生は、自分がゲームの中でしか経験していなかった「なつやすみの風景」が、今、目の前に展開されているという現実に驚き、感動さえしているのです。逆リアル体験です。

■楽しい夏休みに
夏休みは、大好きな家族と過ごす時間が多くなる、学校に行かないので自分の考えで行動できる、自分の好きな学習や活動ができる、ふだんできない活動が体験できるなどのことがあるので、子供たちはたいへん楽しみにしています。各御家庭の考え方で、自然とのふれあい、地域社会への参加などの様々な体験は、子供を大きく成長させます。夏休みは、本物に触れるよい機会にもなります。
今年度から1学期の学校生活の記録の一部(国語、算数及び生活の様子)を「ミニあゆみ」としてお渡しします。各家庭での夏休みの課題にしてください。
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6月号:ルールを守る
■ルールを変える
子供たちが2人以上遊ぶときには、たいていルールが決まっています。決まっていないとそれぞれが好き勝手に遊び始めることになるので、一緒に遊べないからです。もし、ルールがなくて新しい遊びを考えたとしたら、それはすでにルールを決めていることなります。1年生が中央公園に遠足に行ったときでも、一つのボールでどうやって遊ぶかを考えていました。そこには、遊びの中では子供たちの思考がいつも働いているのです。幼児では、自分が負けそうになってくると、自分の都合のいいようにルールを変えることもよく見られる光景です。

■困ったルール
遊びの中でいろいろとルールが変わっていくことは、子供の遊びの中ではごく自然に行われます。やっていておもしろくなかったり、このままではまずいと思ったりしたときにルールが変わります。個人戦でなければたいていの場合は2チームで遊ぶので、双方の合意があればルール改正はいとも簡単に行われます。次に遊ぶときにも改正ルールは引き継がれスムーズに遊びに入ることができます。厄介なのは、違うルールで遊んでいる他のクラスといっしょに遊ぶ場合です。

■ルールの違い
どっちのクラスのルールも自分たちは正しいと思い、これがもっともいいルールだと信じてきたため、いっしょに遊ぼうとなったときには譲れません。しかし、遊ぶ時間が限られていることを知っている子供たちは、いいところの塩梅(あんばい)を見付け出して、共通で遊べるルールを確立していきます。こうしたルールの解釈や変更は遊びの中で随時行われているため、ローカル・ルールが必ずできあがります。日本中のあちらこちらで行われていたような「ろくむし」や「ゴムだん」も、地方や年代によって行い方の違いが微妙にあります。

■自己責任
最終的にはだれもが楽しめるルールにするとなると、これはもう競技スポーツです。遊ぶことそのものが楽しかったことを越えて相手に勝つことだけが目的になる場合もあり、また、大人の世界でもスポーツのルール改正は行われています。一見すると子供のルール改正と同じように思えますが、子供の遊びの場合は、遊んでいる当事者たる子供がルールを改正しています。それゆえ、子供たちは自分たちで作ったルールに則って、楽しく遊んでいるのです。自己責任です。
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5月号:教科書の重み
■高い識字率
誰がどのようにして調べたのかは明らかではないですが、日本人の識字率(読み書きができ、理解できる能力をもつ人数の割合)は、江戸時代初期で50%、江戸時代末期では90%とまで言われています。識字率は基礎教育の浸透状況を測る指針として広く使われている数字ですが、同じ時代のイギリスでは20%、フランスでは10%未満というデータもあるそうです。江戸時代の日本の(或いは、江戸庶民の?)識字率は、当時の世界の中で極めて高かったと言えそうです。

■世界のトップ
江戸時代末期の識字率を調査したデータは、明治初期の文部省年報から推測された数値です。しかし、現実には、幕末期に来日したロシアのゴローニン氏は、その著書「日本幽囚記」のなかで、「日本には、読み書きできない人や祖国の法律を知らない人は一人もゐない」と、驚きと非常に高い評価をもって書いています。また、黒船でやってきた有名なペリーも、「教育は同帝国至る所に普及して居り」(『ぺルリ提督日本遠征記』より)と、当時の日本の教育の普及ぶりを書き記しています。まだ、学制が始まるずっと前の話です。

■寺子屋の存在
これらの成果を上げた理由の一つとして都市部を中心として発達した寺子屋をあげることができます。読み書き算盤の教育は地方でも行われ、その地域に住む子供の教育に、その地域に住む大人が責任をもってあたっていたようです。農村で納める年貢、村でのもめごとの調整などに文書が使われていたこともあり、生活していく必要から自主的に習得に励んでいました。地域ぐるみによる「生きて働く力」の育成が必要だったのです。地域の子は地域が育てていたのです。

■重い教科書
今の教科書は、「教室での使用を主目的とした分量の薄い教科書」から、「自学自習にも適した情報が十分掲載された教科書」にその特徴が変わりました。授業ために使うというスタンスは薄れ、家庭での復習や挑戦するページがより多く掲載されるようになりました。そのため数年前までの教科書に比べて、ページ数で25%増。厚く、大きくなっています。ランドセルは軽くなっても、教科書は重くなっているのです。お子さんと一緒に教科書を「観て」ください。子供たちが「生きて働く力」を確実に身に付けるためには、家庭での自学自習が欠かせません。
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 4月号:「学習」する子供たち
■「学習」を積み重ねること
「麦茶のペットボトルを冷蔵庫から持って来て」と子供に伝えたとき、うまくできるでしょうか。事前に冷蔵庫がどこにあるか、どうやってドアを開けるのか、ペットボトルとは何かなど、いろいろな情報を知っていなければ、最初からはうまくいきません。しかし、子供が「学習」を積み重ねていくと、冷蔵庫を買い換えても、違う銘柄の麦茶に変えても、麦茶が他の食品に隠れてしまっていても、うまく運び出すことができるようになります。つまり「学習」とは、過去の類似の経験を元に再構成して行動を成し遂げることができるようになることといえます。

■AIに越えられない常識の壁
 AI(人工知能)を搭載したロボットにも麦茶を運ぶことはできますが、冷蔵庫を買い換えてしまうと、それを認識できるようプログラムし直さないと冷蔵庫にさえ辿り着けず、AIはその場に固まってしまいます。麦茶が奥にあるようなときでも「麦茶を持って来る」ことしかプログラムされていないので、手前の食品がどうなろうとAIの知ったことではありません。AIにとっての常識の壁は「学習」では越えられず、改めて膨大なプログラムが要求されることとなります。

■「チーム八坂」として
 子供たちの力をどのように引き出し、発揮できるようにするかは、子供たちの成長を見守るすべての大人の役割です。学校の教職員はもちろんですが、保護者・地域の皆様方も、それぞれの役割の中で子供たち一人一人に寄り添い、向き合い、手を差し伸べていただいております。このような大人集団の総称が「チーム八坂」です。「チーム八坂」の皆様方から学校の教育活動にご理解・ご支援をいただけることにより、教職員が子供への指導に一層専念できる環境が整えられ、子供たちの「学習」がすすんでいきます。

■新年度がスタートしました
これから始まる小学校生活への期待と不安で胸がはち切れそうな、そして輝く瞳をいっそうキラキラさせながら、新たに八坂小の仲間となる113名の1年生が門をくぐり、全校児童789名が新年度のスタートを切りました。教職員一同、子供たちが、これからどんな「学習」を積み重ねて成長を遂げてくれるのか、たいへん楽しみにしています。今年度の八坂小も、より質の高い教育活動が行えるよう教職員が一丸となって取り組みます。「チーム八坂」の皆様方、どうぞよろしくお願いいたします。
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平成29年度

 3月号:4月から大きく変わること
■教育目標が変わります
本校の教育目標の構成を変更します。「健康な子」「心豊かな子」「よく考える子」を3本柱とし、その前文として「自ら進んで実行する子どもを育てる」としました。AI時代の到来を前に、命じられたことだけを確実に実行するAIのような人間でなく、人や社会、自然、事柄に対して自分から主体的にかかわっていける子供の育成を目指します。特に「かかわる力」を視点として3本柱を達成していきます。

■学習内容が変わります
5・6年生の外国語活動の授業が70時間、3・4年生の外国語活動も35時間になることを受け、英語を専門に指導する教員を配置します。3年生以上は今年度より25時間分の授業が増える計算になります。増えた時間だけ子供たちが学校にいる時間が長くなってしまうので、これまで5年生で実施していた赤城移動教室を廃止するのを始め、3年生以上の総合的な学習の時間の授業を15時間分、減らして対応します。なお、6年生の移動教室は日光から野沢温泉に行き先を変更し、3泊4日のショート・ホームステイによる現地の方々との「かかわり」をメインとした内容に変更します。

■「あゆみ」が変わります
道徳が教科化されることに伴い、これまで「あゆみ」には記載されていなかっ道徳の時間の評価をお伝えします。また、他の教科についても学習内容に対する評価の考え方が大きく変わりますので「あゆみ」も変更します。今年度のようなすべての教科等についての評価は、10月と3月にお知らせします。これに加えて基礎的な学力(国語及び算数)と基本的な生活習慣についての評価を7月と12月にお配りします。

■「働き方」が変わります
昭和41年度、当時文部省の調査では月あたりの残業時間が平均8時間だったそうですが、平成29年の東京都の調査*では1日の在校時間が平均11時間27分。50年前の一か月分の残業時間が、今は3日で消化されています。週60時間以上働く教員も37%おり、学校はいわば“ブラック企業”です。しかし、教育の質を低下させることはできません。そこで、夏季休業日等のうちプールなどの教育活動を行わない5日間程度を学校閉庁期間とします。この期間は、学校には誰も入ることはできなくなります。
来年度から学校は大きく変わっていきます。
*東京都公立学校教員勤務実態調査の集計結果について(平成30年2月8日)
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 2月号:教育が変わっていきます
■面積が広いのは?
平成19年度、全国学力テストで出されたこの問題の正解率は18%でした。地図を観察して、それぞれの公園の面積を計算するのに必要な数値がどれなのかを見付け出せれば、正解にたどり着きます。長方形の面積は4年生、平行四辺形の面積は5年生で学習しますが、このテストに挑戦したのは6年生でした。
■知識だけで解決できない問題
これまで算数の問題には解決に必要な情報のみが与えられていることが多く、平行四辺形の面積を求める問題の正解率は、96%でした。知識量で圧倒的に勝るAI(人工知能)時代の到来を目前に、必要な情報を自分で選択して問題を解決できる能力を身に付けられるようにしていくことが、教育に求められています。

■何ができるようになるか
平成32年度から新しい学習指導要領(学校で指導するときの考え方やその内容を国が法的に示したもの)が始まりますが、この4月はその準備期間に入ります。単に英語とか道徳だけの話ではなく、今までの考えを根本的に変えざるを得ない大改革となります。それは、「何を教えるか」から、「何ができるようになるか」という能力に重点が変わるからです。「何のために」学ぶのかという意識を子供自らがもち、「どのように」解決するか考え、その考えを友達と交流し合っていける能力を身に付けることが目標となります。

■考え方を変えていく
意味も分からないまま知識を丸暗記し、そのために膨大な量のドリルを繰り返すという、内容を詰め込んでおけばよかった時代が終焉を迎えようとしています。与えられた課題に対して「やりたくない」「疲れた」と決して言わないAI(人工知能)が生活のあちこちに入ってきている今、本校で行ってきたこれまでの様々な活動が4月からは大きく変わります。そして、それらの活動を通して知識があるだけでなく、それを子供が自らどう使えるようになるかまでを、時間を掛けて身に付けられるようにしていきます。
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 1月号:オコノミボックス
■「テレビになあれ。」
オコノミボックスは、1979年に小学生向けの雑誌に掲載されました。勉強があまり好きでないのび太くんに渡してはならない秘密道具でした。ほかの秘密道具と同様、ドラえもんが見ていないと、どのように使うかは、のび太くんの判断に任されるからです。

ドラえもんの説明によれば、「付属のマイクに向かって話すと、四角いものであれば、何にでもなる」ようです。音楽を聴きたいときはプレーヤーとなり、寒ければストーブにもなり、冷たいアイスを食べたければ「冷蔵庫になあれ。」と命令するだけでいいのです。当時、四角くなかった電話機の代わりにはなりませんが、冷蔵庫やストーブ以外、今はスマホひとつで実現できることばかりです。


■夢が現実となっていく
いつでもどこでも簡単に楽しめるオコノミボックスを正しく使う判断力がのび太くんにはなかったので、いつもどおりの反省をしてストーリーは終わります。当時、この漫画を読んでいた小学生は、「ああ、こんな道具があったらいいな。」と思いはしても、「漫画なんだから、そんなの、ほんとうは無理なんだ。」という理解をして、諦めていたのかもしれません。40年後の今、夢物語とされてきたようなことがほぼ現実となっていることを、ドラえもんの作者である藤子・F・不二雄さんは、予期していたのでしょうか。

■未知なる時代にも生きる
時計にもなり、分からない言葉も調べられ、本も読めるうえ、友達がいっしょにいなくても写真を見たりゲームをしたり会話したりもできるスマホを、40年前の小学生に見せたら、さぞや驚くでしょう。それでも、夢や空想を超えた、わくわくするけれど少し怖い魔法のような世界に踏み込んで行ったでしょうか?
何十年か先には、また、違う世界が広がっているはずです。スマホを操作できる今の小学生が、その来るべき未知なる時代にも生きていけるような能力を培うことが、今の教育に求められています。
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 12月号:音楽がなかったら…
■コミュニケーション
1960年代、音楽界に革命を起こしたThe Beatles。そのリーダー格であったJohn Lennonさんは、「話し合いはコミュニケーションの最も遅い手段だ。音楽の方がずっといい。」と述べています。Lennonさんにとって、世界には実に多くの言語が存在する中で互いの考え方がかみあわず話し合いがなかなか進まないときでも、互いに共感し合える音楽だったら世界を平和できると考えていたのでしょう。The Beatles解散前にLennonさんは、「All You Need Is Love」で、世界の平和を訴えました。

■朝から音楽
朝、スマホから流れる美しい音楽で目覚め、駅では電車が発車するサインのメロディーが流れます。今の生活の中には、知らないうちにたくさんの音楽であふれています。目覚ましは「ジリジリジリジリ」という時代は過ぎ去り、高田馬場駅の発車メロディーが「鉄腕アトム」であるように、これまで単なる「音」でしかなかったものが、「音楽」に取って代わられました。お風呂が沸いてもご飯が炊けてもメロディーが流れるなど、「音」がなくても平気だった部分にまで「音楽」が入り込んできました。

■音楽的能力
そもそも「音楽」は人類共通のものであり、あらゆる文化において存在しています。どこに国に行ってもお祭りのリズムがあるのは、そのことを証明しています。さらには、生まれたばかりの赤ん坊であっても、「音楽」に反応を示すことから、ヒトという種は、「音楽」に対して何らかの遺伝的基盤を備えていると思われます。一方、ヒト以外の動物にとって「音」は存在しますが、一部の鳥たちを除くと「音楽」はほとんど存在しません。つまり、「音」を「楽」しむことは、ヒトにだけ備わっている能力と言えます。

■音楽がなかったら…
音楽がなければ、わたしたちはどうなっていたでしょう? 
わたしが歌いだすと、みんなが耳を傾けてくれる。
わたしが演奏すると、みんながニコニコしてくれる。
こみ上げる感謝と誇り、そんな思いを伝えたい。
わたしに音楽をくれて、ありがとう。

「みんなで八坂のハーモニー♪」 
子供たちの姿、ぜひご覧ください。
12月2日、音楽会です。
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 11月号:明日もまた遊ぼう!

     明 日
            室生犀星
明日もまた遊ぼう!
時間を間違えずに来て遊ぼう!
子供たちは夕方になって
さう言って別れた

わたしは遊び場所に行って見たが
いい草の香もしなければ
楽しそうに見えないところだ
むしろ寒い風が
吹いているくらいだ

それだのにかれらは
明日もまた遊ぼう!
此処へ集まるのだと誓って
別れて行った


■子供にだけ見える風景
室生犀星は、子供が遊んでいた場所に立ち、その場所が大人にとって何の変哲もない、およそ遊ぶに楽しくなさそうなところだったと感じています。子供のときは、おそらく自分もそこにいたであろう遊びの風景が、大人になって何も見えなくなるということは、室生犀星に限らず誰もがもつ感覚でしょう。

■子供にとっての遊び場
子供のころ4段くらいの階段で、友達と「せーの」と言いながら、違う段に同時に移る遊びをしていたことを思い出します。「友達と同じ段に飛び移ってしまったらダメ」というきまりがある遊びでした。何がおもしろかったのか、階段さえあればよくやっていました。今、思えば、ただの階段ですが、遊び場として映っていた階段は、当時の子供からすれば、「また、明日も遊びたい」気持ちを掻き立てられる魅力的な環境だったとも言えます。

■遊ぼう!
学校には、遊べる時間も空間も確保され、そこに仲間もいて、遊べる条件や環境は整っています。しかし、「どうしてあのようにいつまでも、おもしろがって続けているかと思うような遊び」は見当たりません。今後、「時間・空間・仲間」に「道具」を追加してみようと計画していますが、「遊ばない」のではなく「遊べない」ことになっていやしないかと思うことがあります。どのように遊ぶのか「遊び方」をよく知らないかもしれません。「子供は遊びの天才」と言われています。子供は遊びを通して、健やかな体を作り、好奇心や創造力を伸ばしていきます。
明日もまた遊ぼう!
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 10月号:1192
■役に立たない知識
「いいくに つくろう かまくらばくふ」と、子供のころ何度も唱えたのをご記憶の方も多いことでしょう。そのおかげで、今となっても、忘れていません。1192年は、「いいくに」という語呂合わせにより多くの子供たちに知識として定着しました。しかし、その後、様々な調査や研究が積み重ねられ、今や、1192年は源頼朝が征夷大将軍に任命されただけの話で、そのことをもって鎌倉幕府成立と言えないという説も浮上しました。1192年には「?」マークがついたのです。せっかく覚えた知識の陳腐化が起こり、役に立たなくなってしまいました。

■人工知能AIの時代
こうした、ただひたすら記憶するだけの学習によって得られた知識の量について、人間は、もはや人工知能AIには、全くかないません。一度インプットされたら、忘れることの無いAIは、その再現性において人間よりはるかに優れ、どんな細かいネタでもインプットしておけば、すぐに引き出せるようになっています。教科書には決して登場しないような人物でも、その人物が何年に何をしたか、保存しておきさえすれば、いつでも呼び起こすことさえできるのです。

■やらなくていい仕事
AIは、これまで人間が行ってきた仕事の機械化や自動化をもたらしました。以前は、計算の知識や技能がないとお店番もできなくて困ったものですが、現在の店員さんは計算どころかレジ打ちさえしません。バーコードを読み取らせれば合計金額をレジが計算し、お釣りまでレジが自動的に出してくれるので、「はい。○○円のお釣りと、こちらレシートです」と言って渡すだけの店もあります。AIがこうした作業をスイスイできるのは、事前に「このように計算しなさい」「つり銭を数えて、一緒にレシートも出しなさい」と、目的を与えているからです。

■人間としての生き方とは
教育者のペスタロッチが、かつて「型にはまった仕事」と呼んだ多くは機械化が進みましたが、目的を与えられないと動くことができないAIは、「言われたとおりにしか」やりません。自分で目的を設定することができる「主体性」に、人間としての強みを見出したのが、来年度から順次始まっていく新しい教育内容で、自分から活動できる子供を育てていく教育に、これからの時代、変わります。「いいくに つくろう…」だけ覚えていればよかった時代は、過ぎ去りました。
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 9月号:スポーツマンシップ
■選手宣誓!
「スポーツマンシップにのっとり、正々堂々とたたかうことを誓います!」スポーツの大会などで聞かれるおなじみの選手宣誓のフレーズです。
スポーツをするとき、スポーツを楽しむために、「全力を尽くします。」「ルールを守ります。」など、同じ仲間としての意識をもってスポーツすることを宣言しているのです。また、その姿を応援する形でその場に参加する関係者にも求められる姿勢でもあります。一堂に介する誰もが「する、みる、支える」というスポーツの楽しみ方を共有するために、スポーツマンシップは宣言されるのです。

■スポーツマンシップ
ところで、スポーツマンシップとは、何でしょうか。スポーツマンシップについて、スポーツ総合研究所の広瀬一郎氏は、「スポーツマンシップとは、尊重(リスペクト)である。相手を尊重し、規則を尊重し、審判を尊重し、そしてスポーツそのものを尊重することが、スポーツを行ううえで大事なことである。」と言っています。さらに、「スポーツマンについては、よい仲間であり、真のスポーツマンは勝負に負けたときの態度で分かる。」とも述べています。

■スポーツを楽しむ
日ごろ、競技スポーツでなくとも運動したり体を使って遊んだりすることが、体にいいことは誰でも知っていることですが、思い切り体を動かすことは、体だけでなく心も鍛えることができます。フェアプレイの精神や協調性、友情をはぐくむこと、また、集中力や気力をも充実させることが期待できます。また、保護者や地域の方々が、運動に親しむ子供たちの姿を見たり、応援してくださったりすることで、子供たちは励まされいっそう運動を楽しめるようになります。

■運動会を前に
9月30日には、本校の運動会が開催され、「スポーツマン精神にのっとり…」という選手宣誓が八坂小学校の校庭に響き渡ることでしょう。そして、その後に展開されるスポーツマンシップにのっとった躍動するパフォーマンス、種目の進行に深くかかわる係活動の仕事振り、紅白応援団を中心とした飛び交う声援などは、スポーツをする人にとっても、見る人にとっても、それを傍らで応援し支える人にとっても、人としての生き方を示してくれるように思えてなりません。
本校の運動会に御期待ください。

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7月号:かくれんぼ
■友達のよさに気付く
ひよこは、自分がじょうずに隠れたつもりで「もういいよ」と言ったにもかかわらず、「黄色いあんよが見えてるよ」と鬼から指摘を受けてしまいます。 
そこで、ひよこは、どのようにしたら足を隠せるかを探るため、周りの友達を第三者的な立場から見ることにしました。まず、すずめがかくれんぼをしているところを見て茶色い帽子が見えていることに気付きますが、同時に、「でも、足は見事に隠されているな」とすずめのよいところも見付けます。また、こいぬがかくれんぼをしているところを見たときも、「かわいいしっぽが見えてるけど、やはり足は見えないな」と自分の課題を通して、友達のよさに気付いていくのです。

■自分自身を見つめる
こうして、「もういいよ」と判断しても鬼に「足、見えてるよ」と言われた自己概念がじゅうぶんに形成されていないひよこでも、友達のよいところを取り入れることで、自分の足を隠すことに関しては、おそらく成功します。しかし、自己中心的な今のひよこは、足を隠すことばかりに集中するあまり、今度は、黄色い帽子やしっぽが見えるようになってしまったことには、まるで気付かないのです。

■意欲が失われる
ひよこは自分の課題を認識し、その解決のために友達からの情報を得たことで意欲が湧き、再挑戦しました。かくれんぼの技能が高まったとは言えませんが、関心・意欲・態度と思考・判断は、おおむね満足な状況になったと言えます。
ひよこは、今日も悩みながら、かくれんぼをしています。じょうずに隠れられなくても楽しいと感じているうちは、課題を解決しようとします。しかし、いくらがんばっても足を隠しきれない状況が続くと、行動に結果が伴わないことに気付き、次第に無気力感が形成され、最後には気が滅入ってやる気を失います。

■多面的に評価する
失敗という結果に対する認知は、「自分には、どうせやってもできない」とその原因を自分の能力不足に求めてしまいます。一生懸命練習しても、自己概念が未形成という別の要因でかくれんぼに繰り返し失敗しているひよこに「もっと、がんばろう。」と言うのは、ひよこに能力が無いと指摘していることになります。技能が低くても、周りとの関係が良好でよく考える意欲的なひよこは、他者の視点に立ったものの見方が次第にできるようになっていく小学生と同じです。

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6月号:校外学習で育つこと
■学校外へ出かける活動 
学校の教育活動の中には、学校の中で行う活動と、学校の外へ出て行う活動があります。先日は、3年生が西武線に乗って遠足に出かけ、西武線とJR線を乗り継いで昭和記念公園まで出かけました。乗換駅では、100人以上の子供が列を作ります。こうした活動の中で、公共の場でのルールやマナーをしっかりと守れるようにすることも、校外活動のねらいとして含んでいます。学校の外へ出かけるには、ほかの歩行者へ配慮できる能力も身に付けていかなくてはなりません。

■道路は、どうやって歩くの?
1年生の遠足は中央公園でしたが、学校から近いと言っても多くの子供が列を成して歩くことを、「あら、かわいいですね〜」と受け入れてくださる方ばかりではありません。ほかの歩行者が「小学生だから」と、待ってくれるとは限りません。急いでいる歩行者の中には、小学生の列の間を自転車で横切る人もいます。自分たちの列が少し乱れても、待っていてくれる歩行者に対して「お先にどうぞ」と思えることも大切です。2列で歩いていても、狭い道では1列になって、ほかの歩行者が通れるようにスペースを空ける気付きや気遣いも大事です。

■自分で判断できるまで
6年生も博物館見学とミュージカル鑑賞に出かけましたが、6年生の行動様式は、格段に違いを見せます。道を歩いていても「列が、曲がらないように!」という指示が必要ありません。博物館でも「ちょっと、声が大きいよ」と言わずにすみます。弁当を公園で食べた後も、ビニールの袋などのごみは、一つもありません。「ごみ、拾いなさ〜い!」と声をかけなくても、6年生のレベルでは自分たちで判断して行動できるのです。

■がまんできるように育てる
@ リコーダー(縦笛)の練習
A 吊革に何秒ぶら下がれるか
B 平泳ぎの足のチェック
混んでいるとまでは言えないまでも座席がいっぱいの電車内。Bの場合は、お母さんらしき方が子供の前で片膝をついて両足を持ち、「足首を開いてって、言われたでしょ!」と半ば怒りながら教えている場面です。@〜Bは、これまで私が電車内で実際に見たことがある“親子連れ”の光景です。こうして育った子供を集団で、マナーを守りながら電車に乗れるようにするのは、並大抵のことではありません。家庭や学校でできないことは、どこへ行ってもできないのです。

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5月号:学校公開にお出かけください
■子供たちの様子を知る機会です
学校では、当然ですが毎日授業があり、授業の合間には休み時間、給食、掃除などの学校生活には欠かせない時間があります。学校の時間は、「基本的に毎日公開」ですので、保護者の方々や地域の方々がいつでも学校に来て、子供たちの様子を見ていただくことができます。今月の13日(土)に敢えて学校公開日と銘打って学校生活をご覧いただく機会としているのは、ご自分のお子さんを中心に学習や生活の様子をご覧いただきながら、他のお子さんや学級、他の学年にも関心をもっていただき、それらを合わせて参観していただきたいと考えているからです。

■学校の外から見ていただくことの意義
学校公開のあとには、ご感想や建設的なご意見などをいただけると、今後の改善につなげられる可能性があります。学校の様子を見ると、子供の笑顔がある一方でさびしそうにしている子供がいたり、怒っている子供もいれば、泣いている子供もいたりします。多くの子供の悲喜こもごもが、学校生活のすべてです。これらを「チーム八坂」の視点から見ていただくことで、私たち教職員にも新しい視点が開ける可能性が生まれるのです。

■「◎」も「×」も、その子の姿です
子供には、いいところばかりであってほしいものですが、いつでもどこでも百点満点の子供は存在しません。「◎」もあり「×」もあるのが現実の姿です。重要なのはこの後の話で、まず「◎」を褒めて伸ばしながら「×」を減らしていくのか、「×」を徹底的に直して「◎」を伸ばしていくかは、どちらも方法としてはありそうです。学校公開での様子を、ぜひご家庭でも話題にしてください。

■学校公開、おススメの見方
@ 授業中に一回も手を挙げなかったが、先生の話を真剣に聞いていて、ノートにしっかり書いていた。
A 家ではあまり勉強していないのに、学校では張り切っているのが分かって、少し安心した。
B 授業中は活発に活動しているが、自分勝手なおしゃべりもあって回りの友達に迷惑をかけていた。
C 「学校では、ちゃんとやってるよ」と言っていたのに、ちょっと集中していないような気がして心配だ。
学校公開では「◎だが、ここは×だ」、「これは×だけど、こっちは◎だ」という、このような見方をお勧めします。
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 4月号:「チーム八坂」として
■桜の花に迎えられ…
やっと開花した桜が入学式に合わせたかのように咲き誇り、八坂小学校の子供たちを優しく迎え入れてくれています。今年も、春がやってきました。
これから始まる小学校生活への期待と不安で胸がはち切れそうな、そして輝く瞳をいっそうキラキラさせながら、新たに八坂小の仲間となる1年生が門をくぐりました。保護者の皆様、ご入学おめでとうございます。教職員一同、子供たちが、これからどんな成長を遂げてくれるのか、たいへん楽しみにしています。

■「チーム八坂」のご提案
子供たちがもっている力をどのように引き出し、どのような場面で発揮できるようにするかは、子供たちの成長を優しく見守っているすべての大人の役割です。学校の教職員はもちろんですが、保護者の皆様、地域の皆様も、これまでもそれぞれの役割の中で八坂小の子供たち一人一人に寄り添い、向き合い、手を差し伸べていただいております。このことは、子供たちにとってたいへんありがたいことです。
私は、このような子供たちの成長を見守っている大人集団の総称として「チーム八坂」をご提案したいと考えます。

■「チーム八坂」の役割
学校は、教職員を中心に回っていきますが、学校の教育力・組織力を向上させるためスクールカウンセラーや図書館司書など様々な専門スタッフが「チーム八坂」の一員として適切に役割分担しています。そこに加えて「チーム八坂」の一員として保護者・地域の皆様から学校の教育活動にご理解・ご支援をいただけることにより、教員は授業などの子供への指導に一層専念できる環境が整えられ、子供たちが主体的・対話的で深い学びができるようになります。

■学校が楽しい。明日も来たい!
今年度の学校経営の基本理念として、
@ 学び続け、進化し続ける学校
A 振り返りから、改善を生み出す学校
の2点を掲げ、「魅力あふれる授業づくり」により「かかわる力」「確かな学力」「健康な体」「豊かな心」を育て、「特色ある教育活動」を通じて、「学校が楽しい。明日も来たい。」と子供たちが思える八坂小を目指していきます。
本日、798名が新年度のスタートを切りました。今年度の八坂小も、より質の高い教育活動が行えるよう教職員が一丸となって取り組みます。よろしくお願いいたします。
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